揖保川 矢田川を歩く―神々に誘われ瀬戸内海から日本海まで

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揖保川 矢田川を歩く―神々に誘われ瀬戸内海から日本海まで

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  • サイズ B6判/ページ数 212p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784860690625
  • NDC分類 291.64
  • Cコード C0026

出版社内容情報

兵庫県を流れる揖保川と矢田川。中国山地から瀬戸内海へ注ぐ揖保川と、日本海へ注ぐ矢田川の流域を歩いた足跡を、丹念に書きとめた紀行エッセー。

      目  次
序章 歩くに先立って
  1 神話的説明  9
  2 三つのテーマ  13
  3 梛神社  17
  4 梛八幡神社  21
  5 祝田神社  25

揖保川から矢田川を歩く
一日目 姫路市―太子町―御津町
  1 揖保川に見える  33
  2 古代の地名と遺称地  37
  3 山の政治的意味  41
  4 「高みに登って見る」こと  45
  5 宇須伎津  49

二日目 御津町―揖保川町―龍野市―新宮町
  1 夜比良神社から粒丘へ  55 
  2 揖保の名の由来  59
  3 客神、天日槍命  63
  4 息長帯比売命と品太天皇  67
  5 萩原の里  71

三日目 新宮町―山崎町―一宮町
  1 雁・猿・鹿  77
  2 宇原、家氏、平見、川戸  81
  3 大倭物代主神社  85
  4 五十波の村  89
  5 伊和神社  93

四日目 一宮町―波賀町―大屋町
  1 「うるか」  99
  2 許乃波奈佐久夜比売命  103
  3 三方  106
  4 皆木の邇志神社  111
  5 若杉峠  115

五日目  三日目 因幡路へ  203

 十年前の春、兵庫県の揖保川の河口から矢田川の河口まで歩いた。すぐにその紀行文を「揖保川から矢田川を歩く」と題して、個人通信『六塵舎通信』(二〇一号・一九九四年三月一八日~二四四号・一九九四年五月三〇日)に載せていた。本書はそれを一冊の本にしたものである。
 本にするにあたり読み返してみると、わずか十年しか経っていないのに、意味不明のところが多々出てきた。個人的な印象に縁り掛かって、説明の足りない文章になっていた、気づいた限り補ったが、はたしてこの地を訪れたことのない方にも読んでいただけるものになったかどうか。不安である。

 旅の楽しみは何らかの意味で未知の土地を訪れるところにある。旅は、いつでも新しい風物との出会いに充ちている。その地に住んでいる人々やその地についてよく知っている人々にとってはごくありふれたことでも、はじめて訪れる者には新鮮である。時に旅人の無知をさらけ出したり、住民にとっては迷惑な印象を抱いてひんしゅくを買うこともある。
 にもかかわらず、気ままな旅には、学術調査や研究旅行にはない魅力がある。それは旅人の主観にそって印象を膨らませることができるからである。旅先の土地は、単なる客体であり、また村であったろう。しかしまだ名前のないただの岡であり、ただの村であったに違いない。小比古名が土を放り出すことによって、特別の岡として「はにおか」と呼ばれるようになった。また大国主が屎をするまではただ笹が広がっているだけの村だったが、笹が弾いた屎が衣につくことによってその村は「はじかの村」と呼ばれるようになったのである。
 地名はきわめて細部に誰人かの何らかの行為を介してつけられているのである。この場合では、国造りする二神の我慢比べがあった。もしかれらの我慢比べがなければただの岡、ただの村のままであっただろう。そこが「はにおか」あるいは「はじかの村」と呼ばれるようになったのは、行為者である二神とかれらの我慢比べが笹の生えたある村のある岡であったからである。
 一まとまりの物語には、かならずその細部が相互に意味づけられ構造的に組織された世界がある。つまり何であれ細部が細部として語られる時には、それを全体の中の細部とするような世界があるのである。あえて言えば、地名はいつでも物語られるだけの背景をもっており、そして地名をつけられた諸々のものは、何らかの世界観のもとで意味づけられた全体として一つの世界を造息づく世界を感得する……そんな旅がしてみたい。国造りする大国主と小比古名の話を知ってから三十五年、小暇を得、歩く機会が与えられた。
 揖保川と矢田川の流域は、そうした希望にぴったりの土地であった。『風土記』に載っている地名を千数百年後の今日に伝え、また九二七年撰上の『延喜式』に載る古社を祭っている。現代の人々がまったく同じ世界のもとで生きているとは考えられないとしても、ともかくもそんなにも古い地名や古い神社を今日に伝えていることは驚きである。それらを訪ねながら流れに沿って歩き、人々がどのような思いを抱きながら生きていたであろうかと想像を膨らますことは、漫然と歩くよりはるかに楽しいであろう。そんな気持ちがつのって、瀬戸内海から日本海まで歩いた。一冊の本にしたものの意に満たないこと甚だしい。次の機会を期したい。

内容説明

兵庫県を流れる揖保川と矢田川。『播磨風土記』に触発され、中国山地から瀬戸内海へ注ぐ揖保川と、日本海へ注ぐ矢田川の流域を、丹念に歩いた紀行エッセー。2つの川の流域には、古くからある地名や神社がいくつも存在する。これらの地名や神社を訪ね見えてきたものは…。

目次

序章 歩くに先立って
揖保川―矢田川を歩く(一日目・姫路市‐太子町‐御津町;二日目・御津町‐揖保川町‐龍野市‐新宮町;三日目・新宮町‐山崎町‐一宮町;四日目・一宮町‐波賀町‐大屋町;五日目・大屋町‐八鹿町‐関宮町;六日目・関宮町‐村岡町;七日目・村岡町‐香住町;歩き足し一日目・一宮町;歩き足し二日目・一宮町‐波賀町;歩き足し三日目・波賀町‐若桜町‐八東町)

著者等紹介

高井薫[タカイカオル]
1942年岡山県に生まれる。1967年岡山大学法文学部卒業。1972年東北大学大学院文学研究科博士課程実践哲学専攻満期退学。作陽短期大学講師、助教授、作陽音楽大学教授を経て、現在岡山商科大学教授(倫理学担当)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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