あるくみるきく双書<br> 宮本常一とあるいた昭和の日本〈9〉東海北陸〈1〉

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あるくみるきく双書
宮本常一とあるいた昭和の日本〈9〉東海北陸〈1〉

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  • サイズ B5判/ページ数 222p/高さ 23cm
  • 商品コード 9784540102097
  • NDC分類 382.1
  • Cコード C0339

内容説明

高度経済成長に沸く昭和40~50年代の日本、急速に姿を変えてゆく農山漁村の風景や暮らしの中に秘められた豊かさや知恵を探し求めて、ひたすらに歩きつづけていた若者たちがいた。民俗学者宮本常一と彼が率いた近畿日本ツーリスト株式会社・日本観光文化研究所に参じた若者たちである。この双書は同研究所が発行した幻の月刊誌『あるくみるきく』を地域別、テーマ別に編んだ昭和日本の風土記集である。

目次

昭和五四年(一九七九)八月「あるくみるきく」一五〇号 一枚の写真から―常願寺川
昭和四二年(一九六七)一〇月「あるくみるきく」八号 飛騨
昭和四三年(一九六八)八月「あるくみるきく」一八号 若狭湾東部
昭和四四年(一九六九)一一月「あるくみるきく」三三号 伊豆西海岸―海から開かれた村
昭和四七年(一九七二)三月「あるくみるきく」六一号 浜名湖―湖畔の人びと
昭和四七年(一九七二)六月「あるくみるきく」六四号 奥能登の村―火宮の記録
昭和三一年(一九五六)一〇月 宮本常一が撮った写真は語る―愛知県設楽町納庫
昭和四九年(一九七四)一一月「あるくみるきく」九三号 奥三河―ふゆ花の咲く山里
昭和五一年(一九七六)七月「あるくみるきく」一一三号 伊豆内浦

著者等紹介

田村善次郎[タムラゼンジロウ]
1934年、福岡県生まれ。1959年東京農業大学大学院農学研究科農業経済学専攻修士課程修了。1980年武蔵野美術大学造形学部教授。武蔵野美術大学名誉教授。文化人類学・民俗学。大学院時代より宮本常一氏の薫陶を受け、国内、海外のさまざまな民俗調査に従事

宮本千晴[ミヤモトチハル]
1937年、宮本常一の長男として大阪府堺市鳳に生まれる。小・中・高校は常一の郷里周防大島で育つ。東京都立大学人文学部人文科学科卒。山岳部に在籍し、卒業後ネパールヒマラヤで探検の世界に目を開かれる。1966年より近畿日本ツーリスト・日本観光文化研究所(観文研)の事務局長兼『あるくみるきく』編集長として、所員の育成・指導に専念。1979年江本嘉伸らと地平線会議設立。1982年観文研を辞して、向後元彦が取り組んでいた「(株)砂漠に緑を」に参加し、サウジアラビア・UAE・パキスタンなどをベースにマングローブについて学び、砂漠海岸での植林技術を開発する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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きいち

27
印象に残ったのは奥能登・火宮の調査記録。生活班と実測班の目的の違い、止まらなかったズレ、中途半端となってしまった調査。そうなることをあらかじめわかっていて、それでも進めてみることに価値を感じていたかのような宮本のコメント。なんだか元気になる。◇花祭りの村、一つの家族に溶け込んでいった本江。自身の結婚式に出席した「お姉さん」との、村で再会した折のやりとりがいい。◇他、飛騨、若狭(原発建設中)、伊豆西海岸、伊豆内浦、浜名湖。2020/08/14

0
(201,382.1)浜名湖、湖畔の人々(須藤功、ジェット機についているカメラの警備員だった)1964浜松基地のF-86F、視座練習機T-33、合計12機が並んでいます。浜松は住みやすく、移転を命じられるのを嫌がったという話。1962頃東海道新幹線工事で、湖岸に沿った松の木、漁師の家去りがたかったが盛り土で浜名湖を狭くされる。が、漁師は補償問題に取り組み、浜名湖を守るのに尽力したという。「観光地でありながら漁師はそれほど観光に頼っていない」ことが、浜名湖を美しくもたせているのだと筆者は言う。2022/04/03

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