内容説明
日本人は、今、あらゆることに疲れている。閉塞感が漂い始めてから、かれこれ二十年を閲したが、われわれは生き方の輪郭をつかめないまま、社会とともに磨りへっていくほかないのだろうか。生を支える“教養”の形を描き直すことはできないのか。本書は、経験と思想のつながりに立ちながら、文化、政治、教育、身体を結ぶ教養像を求めたひとつの試論である。個人の成長(徳の涵養)と社会の再建(デモクラシーの復興)を接続する可能性へ、もう一度。
目次
第1章 近代の成れの果て
第2章 日本近代の教養主義
第3章 近代という問題、デモクラシーの苦悩
第4章 大学の崩壊―啓蒙の放棄、永続する幼年期
第5章 身心の教養を取り戻す
第6章 社会で生きること
補章 日本流ポストモダン・リベラルの危うさ―近代主義・反近代者からの手紙
著者等紹介
原宏之[ハラヒロユキ]
1969年神奈川県生まれ。教師・人文学者。学術博士(東京大学、言語態講座)。専攻は哲学、比較思想史。EHESS、コレージュ・ド・フランス、国際哲学コレージュなどで学び、帰国後はフランス語教師・文筆家として生活(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ceskepivo
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インターネットによって答えが直ぐに分かる。その反面、現代人の知的体力は衰えているのではないか。「本書がいう「教養」は人格陶冶の修養の道(徳)だけではなく、世界・社会の情勢を判断するために情報に触れて、適切なリテラシーで解釈し、投票などの行為に反映させる実践も含む」(32頁)。民主主義は、「教養」のある有権者の存在を前提としているのか。「近代日本の教養主義からなにかを引き継ぐとしたら、・・・政治的教養という市民の条件」(100頁)。そして理想の社会を作るためには、「正しい道をこつこつ歩むべき」(215頁)。2011/04/29
かみかみ
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評価:★★★ 政治や社会を他人事に考えてはみ出し者を袋叩きが社会を破綻させる、仕事が生き甲斐のモーレツ社員、人を殺す実感を得るための殺人などが注目される時代を生きる教養を模索する。「自分自身が行方不明になっている」論が印象に残った。2014/07/21
佐藤駿介
0
教養とは何か。この手の教養についての本を読んでもあやふやだった。またこの本を読みなさいとあり教養について定義することはプラトン以来できていない気もしている。 著者の原宏之は批判家であり、この本も教養とあるが現代のテーマについて反論することから入っている。ただ、一貫していることは保守的な批判であり、全てを鵜呑みにすることはもちろん難しい。 しかし教養とは生きることまたは生活していく上で必要なものということを読んでいくうちに感じたことも事実である。著者が大切にしている『呼吸法』というのを私も見直してみよう。2013/02/25