内容説明
家族との日々をユーモアで紡ぐ最後のエッセイ集。妻・斎藤喜美子が語る「マンボウ家の五〇年」と娘・斎藤由香「あとがきに代えて」収録。
目次
肺炎で又もや入院
ハワイに連れて行かれた事
ハワイから帰国した翌日に、もう苗場へ
スキー場から帰ったら、熱海へ
又もや箱根へ
どくとるマンボウ昆虫展
上高地再訪
初夏の軽井沢ふたたび
上山城での「どくとるマンボウ昆虫展」
娘に引かれて善光寺参り〔ほか〕
著者等紹介
北杜夫[キタモリオ]
1927年5月1日東京青山生まれ。旧制松本高校を経て、東北大学医学部を卒業。医学博士。’60年、船医になり世界各国を見てまわり、その体験を書いた『どくとるマンボウ航海記』がベストセラーになった。同年『夜と霧の隅で』で第43回芥川賞受賞。’64年『楡家の人びと』で毎日出版文化賞、’86年には『輝ける碧き空の下で』で日本文学大賞、また’98年に茂吉評伝四部作で大佛次郎賞を受賞。ユーモアエッセイでも多くのファンに親しまれた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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hiro
53
昨年亡くなられた北杜夫さんの絶筆を含む、家族旅行を中心にしたエッセイ集。もちろん『どくとるマンボウ』シリーズの頃には及ばないが、奥様の貴美子さんや娘さんの由香さんとのやり取りなどには、北さん独特のユーモアが感じられた。『どくとるマンボウ航海記』に始まり、今まで北さんのいろいろな作品に登場されてきた奥様の貴美子さんが語られた『マンボウ家の50年』では、奥様からみた北杜夫を見ることもできた。あのどくとるマンボウに会えないのは寂しいが、北さんのユーモアを引き継いだ娘の由香さんのエッセイを楽しみに読みたいと思う。2012/07/15
NOBU
28
マンボウ氏最後の本、と言うことで久し振りに氏の本を読む。相変わらずの飄々としたユーモアの中にも、お年を召した感があり年月を感じる。 巻末に掲載の奥様の喜美子さんの手記からは、長く患うご主人には大変なご苦労があったはずなのに、しっかりと家庭を支えていらした姿に頭が下がり、娘さんの由香さんのマンボウ家では苦労もありながら「いつも笑い声があふれていた。」との言葉が心に響く。マンボウ先生、安らかに…。合掌。2012/05/26
ユーユーテイン
23
図書館で見つけ、どんな家族旅行をされるのか、興味を持って読んだ。北杜夫氏は2011年に逝去された。本書は亡くなる前のほぼ2年間、雑誌に連載されたエッセイである。氏は大腿骨骨折をされ、体力的に弱っていらっしゃったようだが、元気な娘さんの掛け声に応じて、ハワイ、苗場、熱海、上高地、軽井沢、上山、京都、横浜、小諸…と、色々な場所を訪ねている。どこに行っても土地や人との縁を思い、味わえるのは若い頃の豊かな経験があるからなのだと感じた。高齢の方が旅先で感じることの一端を知ることができた。2014/07/06
柊
12
北杜夫さんの最後の本。リハビリの手伝いをしたり、努めて旅行に連れ出す由香さんのことを「厳しい」とか「冷たい」とか愚痴りつつ、実は楽しまれていることがうかがえてよかった。巻末で奥さんが「振り返ってみれば面白い毎日でした」と言われているのが印象的。生前の北さんは「生物でユーモアがあるのは人間だけです。だからユーモアをとても大事に考えています」と言われていたようだが、その通り亡くなる前までユーモアを忘れない筆致だった。ご冥福をお祈りします。2012/05/13
Midori Nozawa
9
亡くなるまでの北さんとご家族の様子が生き生きと描き出されている。大腿骨骨折後リハビリのために娘さん夫妻と奥様とともにあちこち家族旅行したり、文学館めぐり等興味深い。遠藤周作氏の企画展を見学した様子とか読んで、私が若き日に愛読した作家なので、懐かしかった。躁鬱病というのはご家族のサポートも大変であった様子。ユーモアは人間だけにあるものだからと、大切にされた北杜夫氏。ユーモアがどれほど、人々に癒しを与え続けたことだろう。本著から往年の北杜夫氏の文章に再会できて、懐かしい思いがした。2017/07/20