内容説明
一つの人生観に縛られていませんか?目標の実現に向けて「頑張る」ことに囚われすぎていませんか?苦悩した青春時代、己事究明に励んだ修行時代、禅僧であり、また、作家でもある現在―。幾多の経験を通して、身のまわりの出来事や、世間を騒がせた事件に触れながら、息苦しい世の中を、「楽」に「安心」して生きていくきっかけを教えてくれる。一話一話、読むほどに、心が少しずつ軽くなっていく。
目次
渋柿のそのまま甘しつるし柿(渋柿の甘さ;一隅を照らす;鰯の頭 ほか)
くらぶれば長し短しむつかしや(タマちゃんと、寂しい「安心」;瞑想の中だけの「恒久平和」;正統なき「東洋的正統」 ほか)
うゐのおくやまけふこえて(僧侶とお酒;僧侶が長生きするワケ;「あの世」までの四季 ほか)
著者等紹介
玄侑宗久[ゲンユウソウキュウ]
1956(昭和31)年福島県生まれ。作家。天龍寺専門道場での修行を経て、現在は、臨済宗妙心寺派福聚寺副住職。慶応義塾大学文学部中国文学科卒業。著書に『中陰の花』(第百二十五回芥川賞)など
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
雛
10
先日亡くなった母の本棚から頂いて来た。今の私には玄侑さんの言葉が素直に沁みて来る。他の著書も読んでみよう。2015/11/01
寝落ち6段
7
仏教は本来、哲学であったと思う。人の内面について思索を深めていくことで、日常の不安や懊悩などを具体的に究明し、解消していくことができるのが仏教だと私は考えている。明王や観音などの仏は伝承として面白いが、実際は存在しない。そういう不確かなものに縋ってしまう人を救うために、確かな現実を受け入れさせ、その見方を提示し、その本質に迫っていくことが本来の仏教だろうと思う。仏教はこれからもっと縮小していくだろう。著者の玄侑さんのように、当事者の言葉で、不確かなものを提示せずに説諭することが求められているからだ。2020/04/04
B.J.
5
●仏教では、人間の心に「六道」という幅を想定している。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天道。同一人物の心のあり方にそれほどの幅があるというのだ。 ●仏教では肉魚を食べない、と思っている方もいるようだが、本来そんな決まりは初期の「律」のもない。托鉢していただいた庶民の食事と同じものを頂いたのである。ただ、目の前で殺される場面をみてしまった動物は食べちゃいけないと、釈尊は仰せつかった。・・・本文より 2020/02/25
乱読家 護る会支持!
4
玄侑宗久先生のショートエッセイ集。 それぞれの章が、新しい視点をくれて、面白かった。仏教の本質は、構築と脱構築であるらしいが、一章ごとに構築と脱構築が脳内に起こるかんじ。 智のある人とは、道理や知識をたくさん知っている人と思われがちだが、僕は「道理を疑う人」「自分が知らないことを知る人」が、本当に智のある人ではないだろうか? 人が知識を得るのは、自分が何を知らないのかを知る為なのかもしれない。 知らんけど。 なんか、今日の「知らんけど」は、深い、、、気がする(笑)2021/01/20
yashi_masa
4
妙に教養染みた宗教本でない事は著者の玄侑宗久さんの本を何冊か読んでいるから分かっていた。なんせお坊さんであるにも拘らず「成仏したかなどわかるはずもない」などと書いてしまう人だ。禅僧である自らを軸に宗教でひっくるめる事なく一般的な立場をもって物を書いてくれている。多少は難しい事もあったが、日々の事から勘違いしていた事、生きるという事、様々な方面からアプローチしてくれている。無理に頭に叩き込もうとするのでは本書の特色は生きないと思えた。お経の様にスラスラと深く考えずに落とし込んで行くのだ。2015/09/02