内容説明
医療が終末期高齢者の死を先延ばししている?実情の取材を始めた著者が見たのは、鼻や胃に通した管から栄養を送られ、ただ時を過ごすお年寄りの涙だった。その矢先、96歳の姑が脳疾患で倒れ、意識不明。担当医には当然のように人工栄養を勧められるが…。「人間らしい最期」の在り方とは?人工栄養という延命治療が高齢者から自然な最期を遠ざける―。家族と自分のためにいま、知っておきたいこと。
目次
プロローグ 姑、倒れる
第1章 初めての老人福祉施設
第2章 特別養護老人ホームでの看取り
第3章 親のターミナル(終末期)と親孝行
第4章 「胃ろう」で生きるとは
姑、倒れる―その後
第5章 胃ろうを中止するのは「殺人」というけれど
第6章 ぬくもりだけでいい、生きていてほしい
第7章 リビングウィルと尊厳ある死について
エピローグ 姑の退院、そして自宅での最期
著者等紹介
田中奈保美[タナカナオミ]
1950年生まれ。横浜国立大学卒業後、コンピュータープログラマーとして会社勤務。のちフリーライターとして独立。女性誌をはじめ、新聞、PR誌で人物インタビュー、旅行、外食、医療などの分野で幅広く活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
あつひめ
25
世の中に絶対と言うことはない。でも一つだけある。それは人は絶対に死ぬこと。いつの間にか私も先のことを考えるようになった。たぶん、そんな年頃なのかもしれない。たくさんのチューブにつながれて意識も無く話すこともできずただ生きているだけの状態は本人にとっていかばかりか。その姿を見ている家族はどんな思いか。医療の進歩はありがたいこともある。でも、神様の決めた命を操作することが本人のためなのかどうか。とてもデリケートな問題で賛否両論ある話題を率直に書いている作者に拍手をおくりたい。2011/03/03
アーモンド
23
時間つぶしで入った図書館で目についた本。たまたまその日母から、父の食欲がなくて…という話を聞いたところだった。胃ろうなどの延命治療に対する疑問が語られて久しい。それに同意しつつも、肉親の終末期医療の一切を拒否する覚悟を自分が持てるか、自信はない。が、口から栄養を取れず、枯れるように迎える「死」は、長生きをしたからこそのご褒美のようなものだという事は、心に留めておきたい。2019/09/07
のり
8
著者の夫は心臓外科医として病院勤務を経たあと、老健や特養に勤務。利用者の最期は病院に送るのが当たり前となっていた施設への不満を夫から聞いたのをきっかけに、著者も老衰死について考える。終末期にどんな経過をたどるのか知らされることもなく、選択の余地なく延命治療が行われ、看取りは病院でしてもらいたいと施設での看取りに反対する職員たち。さまざまな看取りのケースがあげられ、自分や家族の終末期について考えました。私も経管栄養はせずに旅立ちたい。「看取りとはじっと見守ること」2017/05/18
ヨハネス
6
著者はもちろん延命措置に疑問を持つ派ですが、意外や!胃ろうのメリットもしっかりした説明があり、公平な意見が読めます。老衰の場合はこのようにすれば苦しまず死ねて、施設の人も喜んでくれたようだったけど、うちの母は施設で急変し病院へ送らず看取ったので施設の看護師さんは怒ってたみたい。でもわたしとしてはベストを尽くせたから満足だし、それをさせてくれた施設と医者に大感謝しています。老衰ならば本人の目の前で葬儀の手はずを決めたり、通夜用のワインを死者予定本人が試飲できたり!延命中止するなら往診医師を決めておくこと。2020/02/24
樹999
5
延命など愚の骨頂。数年前の祖父の看取り時にも感じたことだが、無理やり生かされている老人が哀れでならない。というわけで早速自分のエンディングノートを作った。というか、最近つけ始めた日記のラストページに書きつけておいた。半年ともたない薄いノートなので内容は半年ごとに更新することになるだろうが、第一条はずっと一緒。「延命不要」たとえ明日そうなってもこれで良い。面倒な後悔などしなくていい程度には素敵な人生だった。ものすごく自分勝手に生きた自信があるし、大切なものもない。持ちたいとも残念ながら思わない。2012/10/02




