内容説明
1945年の終戦直後、焦土と化した東京では、家も家族もなくした浮浪児が野に放り出されていた。その数、全国で3万以上。金もなければ食べ物もない。物乞い、窃盗、スリ…生きるためにあらゆることをした。時に野良犬を殺して食べ、握り飯一個と引き換えに体を売ってまで―。残された資料と当事者の証言から、元浮浪児の十字架を背負った者たちの人生を追う。戦後裏面史に切り込む問題作。
目次
序章 遺書
第1章 上野と飢餓(東京大空襲;終戦と飢餓 ほか)
第2章 弱肉強食(上野の支配者たち;不良少年 ほか)
第3章 上野の浄化作戦(狩り込み;闇市からマーケットへ ほか)
第4章 孤児院(愛児の家;施設に入る ほか)
第5章 六十余年の後(現在の上野にて;億万長者 ほか)
著者等紹介
石井光太[イシイコウタ]
1977(昭和52)年、東京生れ。日本大学芸術学部文芸学科卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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サンダーバード@読メ野鳥の会・怪鳥
135
1945年、空襲により焼け野原となった東京。家をそして家族を亡くした子供たちが生きるすべを求めて上野の地下道に集る。闇市や靴磨きで日銭を稼げる子供はまだマシだ。スリ、カッパライ、残飯をあさり、野犬を殺して食べて飢えを凌ぐ。優しく手を差し伸べる人もあれば、冷たくあしらう人もいる。皆自分が生きるのに精一杯だったのだ。「あの時代に上野に生きた子供たちは、生きることへのがむしゃらさを持っていた。そうやって生きていくしかなかった」かつて浮浪児であった方の言葉が重く響く。後世に語り継ぐべき歴史の一つである。★★★★★2017/10/06
しいたけ
123
上司が職場で回して読むようにと置いていった本。職員各々が拵えた栞もどきが何枚か挟まっている。所々に上司の書き込み。補足や説明、間違いの指摘。私達が身を置く福祉の原点は、まさにここにあるのだという諭しに背筋が伸びる。死を身近なものとし、それでもがむしゃらに生き抜いた戦争孤児。ぬくもりを求めながらも人との関わり方がわからない。だって「僕自身が僕のことをわからない」。上野での浮浪児の保護は一晩で何千人にもなったという。川べりを共に歩く仲間が後ろでドボンと身を投げる。「死んだな」とだけ思う。映画ならよかったのに。2017/08/16
yoshida
121
大東亜戦争での日本への米軍の無差別爆撃。多大なる犠牲と共に、莫大な孤児が生まれた。その数は12万以上。東京大空襲から戦後の混乱期を中心に孤児達の苦難を描いたルポ。着のみ着のままで焼け出された孤児達。彼等は奇跡的に焼け残った上野駅の地下道に集まり夜露を凌ぐ。食料難であり彼等の生きる為の苦労は筆舌にし難い。少ないながらも存在した民間の孤児院の存在。私財を投げうつ運営者の愛情に崇高さがある。戦争は弱者に最もツケを払わせる。人類は古来から知っていた筈。現代も続く戦争。我々は過去に学び、戦火を無くさねばならない。2020/08/07
Willie the Wildcat
72
上野における浮浪児の自然発生的集合から離散までの変遷は、戦後復興の軌跡に重なる。ヒト・モノ・カネの”表裏”を日々体感。本来、物心両面で子供たちの飢餓を埋めるはずのヒトの心と制度に、右往左往させられる件に心が痛む。そもそも論の”発生”原因からして大人の都合。金銭的に搾取されても親代わりとなり、褒めて・認めてくれるヤクザ/テキヤが心の救いとなるのも、当然であり必然。”戦後”の定義を考えさせられる半生の数々。戦後70年超、風化が怖い。2019/09/10
かめりあうさぎ
56
初読み作家さん。前半は上野の浮浪児を中心とした当時の浮浪者たちの様子、後半はある施設に救われた存命者によるそれぞれの人生について。上野アメ横の成り立ちなど読むと、直接現在に繋がる歴史の一部なんだなと実感する。文章が感傷的でなく読みやすかった。救いの手からこぼれ落ちていった無辜の民の命はこれよりもはるかに多かったのでしょう。表紙を含めた写真資料も貴重。2019/03/27