「世界史」の哲学 中世篇

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  • サイズ B6判/ページ数 314p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784062172073
  • NDC分類 102
  • Cコード C0010

出版社内容情報

死体を中心に繁栄する都市。愛を説く宗教が原罪とするセックス。矛盾に満ちた時代を読み解き、書き換える。殺されても死なない死体が創った「中世」という時代。

死体を中心に繁栄する都市。なぜセックスは「原罪」で「隣人」は嫌なやつなのか。愛と矛盾とドラマに満ちた時代を鮮やかに読み解く。

第1章 フィリオクエをめぐる対立
第2章 信仰の内に孕まれる懐疑
第3章 二本の剣
第4章 謝肉祭と四旬節の喧嘩
第5章 罪から愛へ
第6章 聖霊と都市共同体
第7章 <死の舞踏>を誘発する個体
第8章 聖餐のカニバリズム
第9章 教会を出産する傷口
第10章 空虚な玉座に向かう宮廷愛的情熱
第11章 利子という謎
第12章 「物自体」としての聖地




大澤 真幸[オオサワ マサチ]
著・文・その他

内容説明

殺されても死なない死体が創った「中世」という時代。死体を中心に繁栄する都市。なぜセックスは「原罪」で「隣人」は嫌なやつなのか。愛と矛盾とドラマに満ちた時代を鮮やかに読み解く。

目次

フィリオクエをめぐる対立
信仰の内に孕まれる懐疑
二本の剣
謝肉祭と四旬節の喧嘩
罪から愛へ
聖霊と都市共同体
“死の舞踏”を誘発する個体
聖餐のカニバリズム
教会を出産する傷口
空虚な玉座に向かう宮廷愛的情熱
利子という謎
「物自体」としての聖地

著者等紹介

大澤真幸[オオサワマサチ]
1958年、長野県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。思想誌『THINKING「O」』主宰。2007年『ナショナリズムの由来』で毎日出版文化賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ころこ

41
本書を古代篇に引き続き読むとキリスト教の話の続きだと思い、中世では行われていたが近代になれば通用しなくなる議論として退屈に感じられるかも知れません。それはこのシリーズを「世界史」の哲学として読むことから生じます。このシリーズは、本当は世界史の「哲学」として読まれるべき本です。この「哲学」とは単に歴史哲学ではなく、思想的な意味の「近代」という大きな問いによって書かれています。「近代」とは我々の社会がつくられている考え方の基になる全体のことです。我々は、今や近代篇が出版された状況にいます。「近代」の問いをまず2021/09/28

梟をめぐる読書

17
「暗黒の世紀」として軽視されがちな中世の時代にも、実際には前イタリア・ルネサンス的な複数の芸術的ルネサンスがあり、三位一体に関する重大な教義上の対立があり、「都市と周辺」の商取引の形態に資本主義の萌芽があり…と新たな知見が得られ、なかなかに貴重な読書体験。もちろんそれを扱う著者の論法もめっぽう面白く、教会に保存された聖人の「遺体」が都市を繁栄させ、巡礼という行いが隣接する都市をネットワークで繋いでいく…というくだりは中世を題材にしたSFかゴシック小説を読むよう。聖人の遺体を媒介に、貨幣のように増殖する神。2016/01/08

みのくま

13
イエスはグロテスクに死んだ。ぱっくりと傷口を開き生々しく血液を滴らせながら。このイエスの身体性は、宗教画を鑑賞する際にいつもアンタッチャブルな領域に触れているような気がしていたが、本書を読んでその謎が少し解けた。このイエスの死体は、キリスト教におけるタブー(カニバリズムや女性器など)を暗喩しているのだ。そして、このイエスの死体を下敷きに西洋中世が形作られる。人間であり神であり、そしてタブーの塊であるイエスは、象徴的な神と違い、具体的な身体性(死体の欠片=聖遺物)をもって人と人のネットワークを形成していく。2018/05/18

MrO

2
古代篇に引き続き、博覧強記、牽強付会の快楽を思う存分味わうことができた。ページをめくって、終わりに近づいてくるのが、たまらなく惜しいと感じる読書は久しぶりだ。いよいよ、キリストの個体が資本主義を生み出す近代かと思わせといて、分厚い東洋篇を挟み込んでいるのだが、中国とインドはやはり避けがたいところ。どんな展開が待っているのか、ワクワクしながら、東洋篇に移ります。2014/10/08

esehara shigeo

1
実は古代篇を読んでおらず、ここから読んでいる。西洋における中世を「キリスト教が広まっていく過程」として捉え、そのキリスト教において、揺るぎない矛盾と、その二重性を抱え込んだ。それは俗と聖という二重性である。お互いを駆動しながら、西洋は発展していく。このような視点は大澤真幸の語り口の特徴であり、恰もミステリー小説を読んでいる気分になるので面白いのだが、同時に何か騙されている気分になる。だから、これは「世界史」ではなく、あくまで「世界史」を通じた「哲学=思考」なのである。2019/06/06

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