内容説明
移送中も含め205人の連合軍捕虜が亡くなった函館俘虜収容所。「博愛の心を以て」捕虜を取り扱うと定められていた収容所の実態とは―。GHQ資料や各種の未公開資料、先行研究をもとに、収容所の開設から閉鎖までと、捕虜の生活・労働状況、BC級戦犯横浜裁判などを18年間かけて調べ上げた労作。
目次
序章 太平洋戦争開戦と函館俘虜収容所の設置
第1章 函館俘虜収容所開設と収容所の状況(一九四二年‐一九四四年三月)
第2章 収容所改革と移転計画(一九四四年四月‐一九四五年五月)
第3章 山の中の函館俘虜収容所(一九四五年六月‐日本敗戦)
第4章 日本敗戦と捕虜収容所の終焉(一九四五年八月‐十一月)
終章 BC級戦犯横浜裁判と戦犯問題
補論 アリューシャン列島攻略戦と敵国外国人収容施設
著者等紹介
白戸仁康[シラトヒトヤス]
1936年美唄市生まれ。北海道学芸大学(現北海道教育大学)卒。北海道史研究協議会、北海道文化財保護協会所属。美唄市在住(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ぽんくまそ
13
函館俘虜収容所のあった所は外国人墓地のそばで、湾をみはるかす風光明媚な所だ。分所などがあった上磯、室蘭、八雲、芦別、赤平、歌志内、美唄、月寒にも土地勘があるので、重さを持って受け止めた。慢性的な食糧不足の下でひどい所とゆるい所が交錯し、運次第でもあった。読みながらずっと感じていたのは、戦時国際法たるハーグ条約とジュネーブ条約への自他の無知である。この読書に当たって、初めてハーグ条約をネットで読み、ジュネーブ条約については要約のみ目を通した。遅い。これは義務教育の段階で教科書で周知しておくべき世界常識だ。 2023/02/12