出版社内容情報
17世紀のドイツの哲学者にして数学者。歴史学、神学に通じ、政治家、外交官としても活躍した天才の生涯を丹念に描く。微積分の発見、二進法の考案、計算器の発明と多彩な業績も紹介。
■目次より
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まえがき
0 社会的・政治的・思想的背景
1 幼年時代から青年時代へ 1646-1667
◎幼年時代における知的な目覚め◎大学における修学◎『結合法論』
◎法学博士号取得・卒業
2 政界および学界への第一歩 1667-1672
◎ポーランド計画◎神学的・哲学的研究◎トマジウス宛ての書簡
◎ボイネブルクの委嘱◎ニゾリウスの復刊◎運動についての論考
◎ヨハン・フリードリッヒに宛てた書簡 ◎シュトラスブルク訪問
◎エジプト計画
3 パリ 1672-1676
◎パリの学者たちとの最初の出会い◎ロンドン訪問◎ふたたびパリに
◎親族との関係◎数学の集中的研究◎不安定な身分と争いの種子
◎チルンハウスとの交友◎微積分学の発見◎パリにおける最後の月日
◎ロンドン再訪◎ハノーヴァーへの旅
4 ヨハン・フリードリッヒ公のハノーヴァー 1676-1679
◎ハノーヴァーにおける最初の出会い◎モラヌスとエックハルト
◎化学への新たな関心◎ニュートンからの第二の書簡
◎スピノザの『エティカ』をめぐって◎マルティン・フォーゲルの蔵書
◎君主への献策◎ハルツ計画◎エリーザベトとマールブランシュ
◎普遍的記号法をめぐって◎『カトリックの論証』をめぐる新たな構想
5 エルンスト・アウグスト公のハノーヴァー 1680-1687
◎相続問題◎ハルツ計画◎論理計算法確立への新たな試み
◎『ライプツィヒ学報』へ寄稿した最初の論文◎交易、政治、芸術
◎信仰と教会再合同◎行列式の発見◎デカルトの顕著な誤謬
◎アルノーとの文通─『形而上学叙説』をめぐって
◎ハルツ計画の結末◎新しい任務
6 南ドイツ、オーストリア、イタリアへの大旅行 1687-1690
◎エルンスト・フォン・ヘッセン=ラインフェルス伯爵訪問
◎ミュンヘンへの道◎ミュンヘンとアウグスブルク◎ウィーン
◎抵抗媒質および惑星運動に関する諸論文◎ローマ
◎動力学についての論考◎フィレンツェとモデナ
◎ふたたびヴェネツィアへ◎アルノーに宛てた現存最後の書簡
◎帰国の旅路
7 エルンスト・アウグスト公のハノーヴァー 1690-1698
◎歴史と政治◎教会再合同
◎ロザムンデ・フォン・メルクリウス・ファン・ヘルモント
◎数学と論理学◎地質学◎医学◎親族との関係
◎選帝侯エルンスト・アウグストの最期の日々
8 ハノーヴァーとベルリン 1698-1705
◎歴史編纂と政治活動◎哲学◎数学◎中国学◎フォントネルとの文通
◎ベルリン科学協会◎ドレスデン科学協会設立計画
◎ゾフィー・シャルロッテとの会話◎悲劇、そして慰めを求めて
9 ハノーヴァー、ヴォルフェンビュッテル、そしてベルリン 1705-1710
◎英国王位継承問題をめぐる政略◎ベルリンでの結婚式
◎歴史編纂の進捗とヴォルフェンビュッテル訪問
◎ウィーンへの隠密旅行◎マサム夫人およびピエール・コストとの文通
◎ゾフィーとの哲学通信◎『人間知性新論』◎デ・ボスとの文通
◎数学者たちとの文通◎ベルリン科学協会◎『弁神論』
◎自宅におけるライプニッツ
◎アントン・ウルリッヒ公からの新たな依頼と予期せざる失望
10 ハノーヴァーとウィーン 1711-1716
◎トルガワにおける婚礼◎ウィーンの帝室枢密顧問官
◎ハノーヴァーにおける孤立 ◎ニコラ・レモンと中国の自然哲学
◎デ・ボスとの文通◎哲学に関する啓蒙的著作◎数学者たちとの文通
◎クラークとの文通◎ハノーヴァーにおける最期の日々
エピローグ
引用文献および参考文献
■著者紹介:エリック・ジョン・エイトン Eric John Aiton