世界人権問題叢書
ハンセン病検証会議の記録―検証文化の定着を求めて

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  • サイズ B6判/ページ数 572p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784750322940
  • NDC分類 498.6
  • Cコード C0336

出版社内容情報

1996年まで約100年続いたらい予防法の下で隔離政策は、なぜ、どのように行われたのか。行政、法曹、宗教、メディア等の関わりを解明する。また被害の実態調査を行い、再発の防止を図ると同時に今も続く差別をどう解消するのか、今後への貴重な提言を行う。

はじめに
第一章 熊本地裁判決
 第一節 原告の全面勝訴
 第二節 地裁判決が認定した事実
 第三節 社会正義の実現
第二章 検証会議の設置
 第一節 検証の意義
 第二節 真相究明における残された課題
 第三節 検証会議の設置
第三章 検証資料の収集
 第一節 ルールの作成
 第二節 反省点
 第三節 検証資料の確保
第四章 現地検証会議
 第一節 日程と主な内容等
 第二節 多くの成果
第五章 国際会議の流れと日本のハンセン病政策
 第一節 戦 前
 第二節 戦 後
第六章 被害実態調査
 第一節 検証の二大柱
 第二節 国立入所者調査から見た被害の一端
 第三節 退所者調査、私立入所者調査、家族調査
 第四節 被害調査の意義と課題
第七章 患者運動の意義と限界
 第一節 団結と連帯
 第二節 自治会前史
 第三節 日本国憲法との出会い
 第四節 多くの成果
 第五節 社会的支援
第八章 マスメディアの対応・責任
 第一節 独自調査
 第二節 各期における記事の種類とその特徴
 第三節 各期の検討
 第四節 総 括
第九章 司法や法律家の責任
 第一節 法律家の責任
 第二節 司法の責任
第一〇章 アイスターホテル宿泊拒否問題
 第一節 事実経過
 第二節 宿泊拒否事件関係新聞報道の記事見出し一覧
 第三節 社会の動き
 第四節 考 察
 第五節 検証会議からの意見照会に対する回答
 第六節 再発防止
第一一章 再発防止の提言
 第一節 九項目の提言
 第二節 ロードマップ委員会(仮称)の設置
第一二章 検証の成果は市民のもの
 第一節 二年半の活動
 第二節 検証の成果
 第三節 成果の還元と大きな反響
 第四節 成果の共有
近現代日本ハンセン病関係年表
おわりに

おわりに
 わが国では、検証文化がいまだ根付いていないことから、国等の誤った施策等によって被害を被った人たちが被害の救済や回復を求めて利用できる途は裁判しか残されていないといってもよい。しかし、裁判には多大の負担が伴う。時間がかかるし、精神的な負担も大きい。「寝た子を起こす」という問題もある。それに何よりも経済的な負担が大変だ。このような負担を払っても勝訴できるとは限らない。行政行為については裁判所は司法判断を回避しがちだという司法消極主義の壁も控えている。勝訴したとしても、その範囲は限られている。裁判では過去の被害だけが救済の対象で、未来の被害を防止することは難しい。再発防止の提言も裁判所の役割を超える。裁判という手段に訴えることを断念して、泣き寝入りを余儀なくされる被害者も多い。国の誤ったハンセン病強制隔離政策の場合も、それは同様であった。「私たちには三つ足りないものがあった。まず第一に、お金がない。第二に、違憲訴訟は一〇年裁判になり命がもたない。第三は、まったく支援がない」。これが国賠訴訟を長らくためらわせた理由だ。関係者によれば、こう述べられている。
 だが、ハンセン病強制隔離政策の場合は、幸運にも勇気ある原告と、これを支える優れた弁護士に恵まれた。裁判所も画期的な判決を下した。これがきっかけとなって、検証会議も設置された。「このような調査はもっと早く行うべきであった」との批判は甘受しなければならないが、熊本地裁判決がなければ、検証会議の設置にたどりつけたか、大いに疑問であろう。らい予防法違憲国賠訴訟が日本における検証文化の定着に果たした役割も特筆すべきものがある。
 しかしながら、かりに検証文化が根付いていたらどうだったか。ないものねだりの感が強いが、このような疑問を抑えることができない。国立療養所で暮らす人たちが国を相手に訴訟を起こすことの難しさは私たちの想像をはるかに超えるものがある。原告の人たちから「文字通り命がけの裁判だった」という話をしばしば聞かされたからである。裁判に訴えることができない被害者のためにこそ、被害の検証が必要である。検証会議の被害実態調査に対する「このような調査は予防法の成立以前に実施されるべきだった。今となっては遅いと思う」(一九三五年入所、男性)との指摘も、右のような観点から受け止められるべきであろう。だが、現状は逆である。検証文化の根付いていない日本では、裁判を経ないで、被害者に検証の光が及ぶことは稀である。
 検証会議では、「ともに、病者を苦しみから救うためでなく、対外的顧慮及び諸外国に対する日本の体面から始められた点で共通している」「ハンセン病も精神病も烙印を押された病であり、肉親さえもその烙印を避けたがる。しかも、療養所も精神病院も居住地を離れた交通不便な所にある」ということから、ハンセン病強制隔離政策と精神病隔離政策とを詳しく比較検討した。わが国の場合、隔離政策に基づく精神障害者の身柄拘束は、今でも犯罪者のそれをはるかに上回っている。平成一六年度に地方裁判所で有罪を言い渡された者は七万九一二一人。そのうち実刑を言い渡された者は三万六四〇人。このうち五年を超える懲役・禁固は六一〇三人で、実刑を言い渡された者の中では一九・九%にすぎない。これに対し、精神医療施設の中で自由の制限を受けている精神障害者は約三三万人で、そのうちおよそ半数の一七万人強は二四時間出入り口を施錠された病棟に収容されており、収容期間が五年を超える者は三三万人の四五・五%にあたる一五万人にも上ると言われている(福岡県弁護士会精神保健委員会編『触法精神障害者の処遇と精神医療の改善』六五頁等参照)。
 二〇〇一年(平成一三)年五月一一日の熊本地裁による原告勝訴判決までの動きにおいては、自治会や全患協(全療協)等の患者運動の存在が大きかった。だが、精神障害者の場合は、家族会は全国的なものが成立しているものの、患者運動はきわめて微弱で、しかも患者と家族の関係は対立する要素をはらんでいる。ハンセン病のように、患者運動が国賠訴訟に結びつくということは考えにくい。
 国等の誤った施策等によって被害を被ったすべての人たちに検証の光が及ぶ日が一日も早く到来することを願ってやまない。検証会議『最終報告書』については過分にも各界から高い評価をいただいたが、試行錯誤の故に残された課題も多い。これを教訓にして、より深化した検証文化が日本に定着することを望むものである。
 検証作業に実際に携ってみて考えたことは多かったが、そのなかでも重要なことの一つは、人権侵害の側に走った専門家等をもって「悪い専門家」、人権侵害を糾弾する側に向かった専門家等をもって「良い専門家」というような固定的な図式では、今も続く被害の回復、救済には繋がらないのではないかという点であった。すでに指摘されているように、人権侵害の側に走るということは自分自身の人間性をも失うということで、その意味では、被害者も加害者も共に人間性の回復が図られなければならない存在だという視点こそが、人権侵害状態を形成している加害者―被害者という固定的な関係を変えていくことになるのではないか。ただ、被害者が自己の人間性の喪失に気づくことは比較的、容易なのに対して、加害者が自己における人間性の喪失に気づくことは簡単ではない。学ばなければ、自己における人間性の喪失に気づかない。自己の人間性の喪失にようやく気づいても、勇気がなければ、支えがなければ、そこから脱皮できない。これをどうするのか。
 信濃毎日新聞の連載「柊の垣根 向き合う人から(下)」(二〇〇五年三月一九日)は奈良県部落解放同盟支部連合会理事長の山下力氏を取り上げた。氏はそのなかで次のように語っている。
 「人は、正義感と差別意識の両方を持っています。差別意識は自分の弱さを隠すためのもの。差別をする人は、体調や精神が不安定だったり、コンプレックスを抱いている人だと、このころから分かってきました。社会の仕組みに差別があるのなら、組織で徹底的に闘わなければいけない。でも、個々の差別意識は、相手がこちらの告発に共鳴して『なぜこんなことを言ってしまったのか』と自らに問い、『内なる闘い』が始まらなければだめです。共鳴は説得とも違う。少なくとも、告発した側が『自分も間違いを犯す可能性がある』と自覚しないと、共鳴は生まれません」。
 「中立」や「第三者」の美名の下に、自己の「内なる闘い」を回避してこなかったか。今、私たちに求められている勇気とは、「他人事や責任転嫁するのではなく自分自身の問題として捉え」、被害者から学ぶことによって、私たちが犯した過ちを認め、自らこの過ちを正す勇気といえないだろうか。まさに変わるべきは私たちの社会である。私たち一人一人である。そのための検証である。

内容説明

ハンセン病問題検証会儀『最終報告書』を、検証会議起草委員会の委員長が、「要点」を整理。真実と魂の叫びを伝える。

目次

第1章 熊本地裁判決
第2章 検証会議の設置
第3章 検証資料の収集
第4章 現地検証会議
第5章 国際会議の流れと日本のハンセン病政策
第6章 被害実態調査
第7章 患者運動の意義と限界
第8章 マスメディアの対応・責任
第9章 司法や法律家の責任
第10章 アイスターホテル宿泊拒否問題
第11章 再発防止の提言
第12章 検証の成果は市民のもの

著者等紹介

内田博文[ウチダヒロフミ]
1946年生まれ。1971年、京都大学大学院法学研究科修士課程修了。九州大学大学院法学研究院教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。