体制崩壊の政治経済学―東ドイツ1989年

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  • サイズ A5判/ページ数 336p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784750320007
  • NDC分類 312.34
  • Cコード C0031

出版社内容情報

社会主義の優等生と呼ばれた東ドイツはなぜ消滅したのか。豊富な資料と斬新なアプローチで体制崩壊に至る全過程を読み解く。

はじめに
第1部 研究の状況
 第1章 革命と体制崩壊
 第2章 東ドイツ研究のメルクマール
 第3章 東ドイツ体制崩壊研究
 第4章 一般理論適用の試み
  第1節 組織社会論
  第2節 相対的剥奪論
  第3節 資源動員論
  第4節 政治的機会構造論
  第5節 戦略的アクター論
 第5章 合理的選択論
  第1節 基本概念
  第2節 主観的期待効用理論
第2部 理論的考察
 第6章 体制変動、合理的選択、ゲーム
 第7章 市民と独裁体制
 第8章 体制変動のゲーム
  第1節 プレイヤーの選好順序
  第2節 ソ連要因
  第3節 ゲームの均衡
 第9章 集合行為としての抗議行動
 第10章 抗議の生成メカニズム
 第11章 革命家のいない革命
 第12章 体制崩壊の力学
  第1節 市民と抗議行動
  第2節 体制構成員と体制離脱
第3部 事例研究:東ドイツ1989年
 はじめに
 第13章 崩壊前夜
 第14章 体制の動揺
 第15章 抗議行動の胎動
 第16章 「英雄都市」ライプツィヒ
 第17章 「中国的解決」の危機
 第18

はじめに
 「自由・平等・友愛」を標榜したフランス大革命勃発からちょうど200年目にあたる1989年、この年はまさしく、「驚愕の年(Annus Mirabilis)」であった。すなわち、ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ブルガリア、それにルーマニアといった、東中欧のいわゆる共産主義諸国を突如として大規模な体制変動の波が襲ったのである。この一連の体制変動は、表面上安定的に見えた非民主的な共産党政権を打ち倒し、そしてそれによって戦後約半世紀の間、継続してきた二極的世界秩序を根本的に覆した。たしかに、1970年代後半の南欧や1980年代初頭のラテンアメリカにおける一連の民主化の波という先行事例があったにもかかわらず、この年に生起した東側陣営の連鎖的崩壊は、専門家をふくめ、ほとんどすべての人びとにとってまったく予想外の出来事であった。それのみならず、当事者であるそれらの国々の指導者・大部分の市民でさえ、この地域のいわゆる共産主義体制が、1989年から1990年にかけて崩壊することになるとは、その直前まで夢にも思わなかった。これほど急速に、そして、(一部の例外を除いて)これほど円滑に体制変動が進展するとは、ほとら1年も経ないうちに、その特大の「兄弟」であるドイツ連邦共和国(以下、「西ドイツ」あるいは「ドイツ」と略称)によって吸収され、世界地図の上から文字通り消え去ったのである。そしてこの劇的な一連の政治過程は、当時の権力エリートや反体制知識人などの重要アクターによる自伝的報告をふくむ、おびただしい量の資料・文献等の存在にもかかわらず、いまだ不完全にしか把握されていないのが実情である。
 本書の第一の目的は、このような様相を呈する東ドイツ体制崩壊とは一体何であったのかという疑問に対し、ひとつの回答を提示することである。この文脈において本書はまず、東ドイツの体制崩壊が誰によって推進されたのか、および、この政治的過程のメカニズムはどのように説明できるのか、というふたつの基本的問題に焦点をあわせる。
 また、1989年の東ドイツ体制崩壊は、しばしばそれ以外の東欧諸国における体制変動との著しい相違点が指摘されている。すなわち、そのあまりに急激な崩壊過程、その過程における多数の出国者の存在や反体制グループの非常に限定された役割、そして何よりも「再統一」とその必然的結果としての国家消滅という現象は、東ドイツ以外の東欧諸国では

目次

第1部 研究の状況(革命と体制崩壊;東ドイツ研究のメルクマール;東ドイツ体制崩壊研究 ほか)
第2部 理論的考察(体制変動、合理的選択、ゲーム;市民と独裁体制;体制変動のゲーム ほか)
第3部 事例研究:東ドイツ1989年(崩壊前夜;体制の動揺;抗議行動の胎動 ほか)
補論 他事例への説明モデルの適用

著者等紹介

大塚昌克[オオツカマサカツ]
1963年生まれ。1988年九州大学文学部史学科卒業。1989年参議院事務局入局。2004年早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程修了。現職、早稲田大学大学院経済学研究科客員研究助手
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