叢書・ウニベルシタス<br> 力の場―思想史と文化批判のあいだ

叢書・ウニベルシタス
力の場―思想史と文化批判のあいだ

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  • サイズ B6判/ページ数 296,/高さ 20cm
  • 商品コード 9784588005428
  • NDC分類 309.023
  • Cコード C1310

出版社内容情報

フランクフルト学派の形成,ハーバマスとポスト構造主義者,シュミットとバタイユ,ヘラーとアーレント等々,多岐にわたる論考から現代の思想的アポリアを読み解く。

内容説明

フランクフルト学派の形成とその性格、ハーバマスとポスト構造主義者たち、シュミットとバタイユ、ヘラーとアーレント、近代の視覚体制など、多彩な論考を通して、現代の思想的アポリアを読み解く。

目次

都市から都市への脱出―フランクフルトとニューヨークの社会研究所
行為遂行的矛盾についての論考―ハーバマスとポスト構造主義者たち
系譜学の道徳―あるいはポスト構造主義的倫理は存在するか
危機の時にあっての主権の再主張―カール・シュミットとジョルジュ・バタイユ
暗い時代の女性たち―アグネス・ヘラーとハンナ・アーレント
イデオロギーとしての「美的イデオロギー」―あるいは政治を美学化するとはどういうことか
黙示録的想像力と悲哀の能力の欠如
解釈学の興隆と視覚中心主義の危機〔ほか〕

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

プロメテ

9
四章、バタイユとシュミットのファシズム的傾向の論考のみ読んだ。彼らの精神の中枢には世俗的な神学があるのがわかった。もちろんニーチェにも。これは信仰のあり方のひとつといっていいだろう。彼らの共通点は拡散そのものの浮わつきに、対立構図として、強制的力を建立させることである。拡散そのものには、紛れもなく信仰はないのだから、叩き付ける強権には、実際上は信仰の座にあるのだ。彼らの力は信仰の現れである。パウロのいったように、霊的賜物は知性であったり力であったりするが、彼ら二人は間違いなく力としての神像だったのだろう。2024/04/15

Mealla0v0

1
取り急ぎ4章のバタイユ/シュミットの「主権=至高性」概念の比較論だけ読了。二人の主権論は共に宗教的な色彩を持っており、WWIを背景に提起されたものだと指摘する。そのうえで、両者の差異を際立たせる記述になっている。シュミットの場合、政治学・法学的な、ホッブズやボダンの系譜に連なるもので、世俗化された神学概念である。他方、バタイユは人類学的・経済学的な恍惚を訴求する概念である。ここからジェイは主権をめぐる二つの解釈を引き出す。が、どちらも困難があり、それは討議的理性によって克服されるべきとされる。オチが弱い。2019/02/27

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