東洋文庫
サハリン島占領日記 1853‐54―ロシア人の見た日本人とアイヌ

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  • サイズ B6判/ページ数 347p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784582807158
  • NDC分類 292.923
  • Cコード C0121

内容説明

幕末、サハリン島南岸の地を占領したロシア遠征隊隊長の日記。樺太問題の原点たる事件と、この地におけるアイヌと日本人との関係の実態をつぶさに記録した第一級史料の本邦初訳。

目次

ペトロフスク越冬所
アヤン港における交渉
ペトロフスクからサハリンのアニワ湾へ
トマリ(クシュンコタン)の占拠
周辺地域の調査・ムラヴィヨフ哨所の完成・アイヌの熊祭り・アイヌたちの噂
アイヌと日本人の関係
日本人とアイヌに対する「武装中立」
トマリ占拠の不適切さ
セトクレロの到来・日本人の正月・ルダノフスキーの西海岸調査・トーブチ湖の調査
ルータカ行・トンナイ湖の調査・漂着ロシア人の情報〔ほか〕

著者等紹介

秋月俊幸[アキズキトシユキ]
1931年長崎県生まれ。東京教育大学文学部卒業。北海道大学附属図書館を退職後、北海道大学法学部講師を経て、現在日露関係史・日本北辺地図学史の研究に従事
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感想・レビュー

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コカブ

2
1853年にプチャーチンが長崎に来て通商交渉をしている頃、ロシアはサハリン占領の兵を送っていた。占領は露米会社によって行われ、極東で指導したのはネヴェリスコイだった。著者のブッセ陸軍少佐は占領部隊輸送を指揮する立場だったが、ネヴェリスコイの要請で70人の占領部隊の指揮を取る事になる。占領の指示は曖昧で、サハリンを領有する意図がありつつ日本人に手出しをしないというものだった。ブッセは久春古丹に哨所を建設して越冬するが、クリミア戦争が勃発したために翌年撤退した。時にブッセは25歳だった。若い。2012/11/21

100名山

1
ロシア軍の小隊がサハリン占領の命を受けて悪戦苦闘する様をその隊長が公開を前提としない日記につづります。 ロシア人が観た日本人、先住民族アイヌの人々を何のフィルターも無く、その服装や家屋を描いているところが実に新鮮です。 軍隊内で命令が発せられるまで、アイヌや日本人へのもてなしなど、そこに至る心理描写や駆け引きが、実に面白いです。 日本人やアイヌ人の素晴らしいところも、良くないところも素直に描かれ、一級の民族誌といえるでしょう。 流石ロシア正教の国家、合唱で日本の船を歓迎します。 2010/10/22

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