内容説明
奢侈と虚栄、情欲とエゴイズムが錯綜するパリ社交界に暮す愛娘二人に全財産を注ぎ込んで、貧乏下宿の屋根裏部屋で窮死するゴリオ爺さん。その孤独な死を看取ったラスティニャックは、出世欲に駆られて、社交界に足を踏み入れたばかりの青年だった。破滅に向う激情を克明に追った本書は、作家の野心とエネルギーが頂点に達した時期に成り、小説群“人間喜劇”の要となる作品である。
著者等紹介
バルザック[バルザック][Balzac,Honor´e de]
1799‐1850。仏・トゥール生れ。孤独な少年時代、読書と夢想に耽り将来の素地を養う。数編の失敗作の後、出版等の事業に手を出し破産、その浪費癖のため流行作家となった後も背負いつづけた負債を抱え、創作に戻る。『ふくろう党』(1829年)を皮切りに超人的ペースで『ウージェニー・グランデ』『ゴリオ爺さん』『谷間の百合』等の力作を多産、リアリズム小説の分野を創始。その後の作品も含め全作品に「人間喜劇」という総題を与え、総体を19世紀フランスの風俗史たらしめる目論見の実現途中に燃え尽きた
平岡篤頼[ヒラオカトクヨシ]
1929年大阪生れ。早大大学院仏文科修了。二度の留学の後、早大文学部教授
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 2件/全2件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
416
ゴリオの2人の娘に対する溺愛は、悲劇的ではあるものの、けっして崇高ではあり得ない。なぜなら、それがきわめて個的なものであり、もうほとんど欲望と等価であるからだ。この巨大な世界を内包する小説の中で、それはプロットの中核を成すものの、けっしてすべてではない。むしろ19世紀前半の復古王政の時代と、オスマンによる大改造以前の混沌としたパリこそが主題を背負うかのようだ。新興のブルジョア階級たるゴリオが2人の娘を貴族に嫁がせる。そのこともまた時代の象徴であるかのようだ。階級を超えて行こうとするウジェーヌの存在も⇒ 2018/08/12
のっち♬
151
子煩悩なゴリオ爺さん、脱獄囚ヴォートラン、法学生ラスティニャックの3人の生き様が絡み合って話は進行する。それぞれ思惑を抱えて利用しあうストーリー展開だけでも魅力的。うぶな学生の目を通して社交界の欺瞞や堕落をまざまざと暴いており、金と女を出世の道具として追求する様には著者の経験が反映されているようだ。パリがラスティニャックを変貌させていく様はゴリオの転落と共に読みどころの一つだろう。ヴォートランが現実を突きつけて計画に誘惑する台詞もなかなかの迫力。不安定な社会の歪みを家族関係に焦点を置いて描き出した代表作。2017/09/24
ケイ
127
なにが「父性キリスト」だ。キリストは赦しを請うものには赦しを与えたが、決して甘やかせ放題にはしなかった。最優先が娘であれば、彼女らに不都合な事は敵として判断してしまう。だから、ゴリオは純粋とは言えない。勿論、不幸で憐れむべき男だが、その不幸も困窮も死もすべて自分でまねいたものなのだ。彼の娘らは、自分の欲望を優先して父への思いやりに欠けるが、決して非人間的とまでは言えまい。一番恥ずべき人間は、私にとってはヴォケー夫人だ。ゴリオの弔いをした学生二人の心があるから、絶望より希望が残ると思った。2015/11/28
ハイク
113
サマセット・モームの「世界十大小説」に挙げられている。ゴリオ爺さん、ヴォートランとラスティニャックの3人が中心になって物語は進行していく。19世紀初頭のパリは3つの地区に分かれていた。貴族が住む地区、新興のブルジョア地区、そしてその日暮らしの地区である。多くの人達は貴族と交流する上流社会に憧れる。ゴリオ爺さんは二人の娘の為に懸命に生きている。ラスティ二アックは田舎から出てきた法学生である。そんな中ヴォートランにそそのかされて、田舎から資金援助を受け貴族社会に取り入るよう進言される。結末は衝撃的であった。 2017/10/15
Miyoshi Hirotaka
84
王政復古時代のパリ。虚栄とエゴが錯綜する上流階級に嫁がせた娘に全財産をつぎ込み、貧乏下宿で窮乏死する実直な父親の話。学生ですら努力するよりも借金をして奢侈を装い上流階級に取り入り、資産保有とそこからのレント(超過利益)狙うのが当然とされた時代。親が子に全てを与えたいという気持ちは自然なものだが、法がなければ、持てる者と持たざる者の格差が拡大し、人間も社会も親子関係すらゆがむ。経済小説ではないが、人間をよく観察した名作は、ピケティの「21世紀の資本」の資本税理論にヒントを与えた。重厚な文学資産は学問の基礎。2017/01/07