内容説明
“父は肩肘はらないで大マジメだった”明治末にアメリカで久布白直勝牧師により受洗、昭和三年広島・呉市に十字架のない独立教会を創設、七十余で没した父。呉の三津田の山に父が建てた上段・中段と呼ぶ集会所(教会)、住居での懐かしい思い出や父の日記・著作等から“アメン”に貫かれている父の生涯の軌跡を真摯に辿る。息子から父への鎮魂歌。長篇小説。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
踊る猫
19
長くなり過ぎ。もちろん、一般的な長編と比べるとこの作品は短い方だが、コミさんの作品としては長いと思う。だから、後藤明生的な脱線が脱線を読んでアリジゴクの迷宮に落ちていく感じもなく、むしろ骨太に真っ当に「小説」しようと父のことを書く筆致の生真面目さが目立つ。コミさんの寄り道は、全てをその優秀な頭で統率しきれる短編だからこそ光り輝いていたのかもしれない。だから長編は息切れする。と、ケチをつけてしまったがコミさんの美学は健在なので愚作ではない。コミさんのデタラメさがもっといい形で結晶した作品を読みたくなってきた2020/06/24
ネムル
11
コミマサ文学たるぐだっぷりと、思考がぐだぐだ隘路にはまりかけ、それでも魂のリレーを繋ごうとする試行錯誤を堪能する。が、『ポロポロ』ほどにはまれず、素直に楽しめなかったのがぶっちゃけなところ。2019/07/07
watershed
2
アーメンじゃなくてアメン。アメンだから父とくっ付けても大丈夫。アーメン父ではダメなのだ。のだめが「ベトベン」と言っていたのを思い出す。 繰り返されるのは、信仰は人間が求めるようなものではなく、むこうからやってきて自分を貫くものだということ。 広島県呉を訪れたとき、住宅の並ぶ坂道をアメン父がずんずん登っていく姿を思い浮かべた。ただ、田中小実昌は呉では特に知られていないようだ。それもまたいいところ。
アンパッサン
1
十字架がぶちあたってくる。信仰者とはそういうものかもしれない。それによってキリスト者として折り目が付けられるのかなあ。まあ、でも、「キリスト教は宗教じゃないんで!」っておっしゃられている。けれどどうなんだろう…そうやって特別視しているだけ…いや、もう言うまい。あいかわらず「はっきりいわない」小実昌節。なかなか集中して読めなかった。そういうのがいいのかもしれない。2020/11/20
メズゾース
0
「言いわけになるが、ぼく自身が統一のない男だし、この本でも、父の、持続と統一のある人格(アイデンティティ)なんてものが、アメンにより、イエスにより、イエスの十字架により、こなごなにうちくだかれ、それでいてささえられているのを、わからないまま、ぼくは書こうとした。・・・この本は父の伝記でも、ぼくの父へのおもいででもなく、(いまでも)アメンが父をさしつらぬいていることを、なんとか書きたかった。」あとがきより2016/09/20