岩波文庫
キリスト教の本質 〈上〉 (改版)

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  • サイズ 文庫判/ページ数 397p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784003363317
  • NDC分類 191
  • Cコード C0116

出版社内容情報

十九世紀初頭のドイツは,青年ヘーゲル派の騒々しい哲学論議に沸きたっていた.この空しい喧騒の陰に,ひっそりと生み落された本書は,独自の人間学に拠ってキリスト教自体に即して,宗教における人間疎外を暴露し,キリスト教的世界観を根底から覆えした.殆んど唯一の理論的達成であり,唯物論・無神論への大道を開いた.

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社トリスタの提供する「読書メーター」によるものです。

またの名

14
名前が「炎の川」を意味するフォイエルバッハの宗教論。さまざまな論点を提示してるものの、基本線は対象への投影と主語述語の転倒という二つのロジック。主観が関係する対象は主観自身の本質を鏡のように映すので「宗教とは人間がもっているところの隠された宝物が厳粛に開帳されたものであり、人間の最も内面的な思想が白状されたものであり、人間の愛の秘密が公然と告白されたもの」と分析。「神とは正義、知恵、愛…等である」という命題の述語こそが真の存在者と考える故に、神や宗教を否定するからといって徳も愛も否定することにはならない。2018/07/28

有沢翔治@文芸同人誌配布中

8
上巻読了。マルクスの論敵だと意識しながら読む。唯物論と唯心論というよりは、キリスト教の批判に思えた。キルケゴールとドストエフスキーと同年代だと思うとフォイエルバッハの議論は随分と冷めた印象がある。2014/12/03

井蛙

4
本書を貫いているモチーフは、カント的な前提(からヘーゲルに至る思考の定位)がキリスト教神学にもたらす必然的な帰結である。神は人間が措定したものであるがゆえに「神の本質は人間の本質に他ならない」こと、「神がしかじかであったりなかったりする」のではなく「しかじかであったりなかったりするのが神である」こと。こうした転倒は人間悟性をアルキメデスの点に据えるキリスト教におけるコペルニクス的転回と呼べるだろう。2017/11/10

home alone

3
キリスト教の神を、人間の本質を外化したものと考え、それを前提にキリスト教の本質を追究して行く。唯物論になり切っていない感はある。個人的には唯物論になり切っていない方が好きなので、楽しめた。ヘーゲル、マルクスに興味ある人も読むといいだろう。2011/06/30

Tatsuhiko

2
なかなかとっつきにくい本だが、主張は首尾一貫していて、それは「神は人間の想像の産物である」ということ。これがキリスト教の儀式や、異教との比較から多面的に何度も繰り返し唱えられる。そこから派生して、キリスト教徒が自己充足を図るのに対し、実存的な人は友情や恋愛を通じて類を意識するとか、目の前を通り過ぎていく事象に規範を打ち立てようとすることは宗教的な生活であるといった考えが出され、これらはキリスト教を超えて人間一般について考えるきっかけとなる。大変な読書ではあったが、得るものは多かった。下巻も楽しみに読みます2016/06/25

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