出版社内容情報
本書の題名「およそ学として現われ得る限りの将来の形而上学の為のプロレゴメナ(序論)」に示されるように,前著『純粋理性批判』における「形而上学の批判」のカントの真意の曲解に対する反駁として書かれ,『批判』の要旨を簡潔平明に論述しながら,真に学的な形而上学の成立の諸前提を設定しようとしたものである.
内容説明
本書の正確な表題「およそ学として現われ得る限りの将来の形而上学のためのプロレゴメナ(序論)」に示されるように、前著『純粋理性批判』における「形而上学の批判」にこめられたカントの真意への曲解に対する反駁として書かれ、『批判』の要旨を簡潔平明に論述しながら、真に学的な形而上学の成立の諸前提を設定しようとしたものである。
目次
すべての形而上学的認識の特性に関する予備的注意
「プロレゴメナ」の一般的問題
先験的主要問題
結び 純粋理性の限界規定について
一般的問題―「学としての形而上学はどうして可能か」の解決
付録 学としての形而上学を実現するためには何をしたらよいかということについて
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
zirou1984
48
カントの主著である超難解な『純粋理性批判』に向けての導入書。導入と言えど決して優しいものではないが、認識における限界を定義するその批判はウィトゲンシュタインの論考を先取りし、時間と空間を主観的な形式と喝破したそれは後に相対性理論によって証明される様に、ただ思考するという一点でここまで解明してしまうその深度に驚かさせられてしまった。私たちは決して物自体を認識できず、あらゆる作用に因果律の読み取ってしまう性質を持っている。それは現代の脳科学における人間らしさとは何かに関する問いそのものだ。いやしかし難しい…。2014/04/27
茉莉花
26
カント著作の「純粋理性批判」は難解な書と聞いたのでそれを分かり易く書いたと云われる「プロレゴメナ」を読んでみた。全然分かんないし笑!!理解出来ないままなんとか読了しました。まず、形而上学について。自由、心、神と云った目に見えないものを言葉で説明したり証明したりするのは数学や科学を証明することよりも難しいし、誰もやりたがらないね、そんなことっていうことは分かった笑 あと、理念というのは経験では得られないア・プリオリ(先験的)なことというのもなんとなく分かった。全てを経験で得られる訳ではないってことよね笑2016/09/25
しんすけ
22
いまここで死んでしまってもおかしくない年齢になってしまったが、少しだけ気が付いた。 哲学には解答はないことを。そして哲学が終わらないことを。 十代半ばにフォイエルバッハに親しみハイネに彷徨うは、解を求めての旅だった。 メフィストフェレスの囁きを求めるような旅だった。 そして今、解が得られないことを知る。だが虚しさは生じない。哲学してきたことは疑わないから。 哲学には解答はなく、終わりもない。 プロレゴメナの終わり近くカントは書いている。 真理は経験のうちにのみ存在している。2022/07/06
km
22
純粋理性批判の公式解説書みたいな感じです。純理は1000ページを越えるので中々体力がいりますが、これなら簡単に読みきれます。以下プロレゴメナのプロレゴメナ。もし形而上学が学であるとしたら、この学が他の諸学のように終始かわることのない大方の賛同を得ることのできないのはどうしてだろうか。また形而上学が学でないとしたら、一個の学らしく見せかけて、いつも偉そうに振舞い、決して消滅することのない、さりとてまたついに充たされることもない期待をもって人間の悟性を釣っているのはどうしてだろうか。形而上学の再検討。2017/02/25
Gotoran
22
D.ヒュームの因果関係批判に触発されて著されたカントの主著「純粋理性批判」が非常に難解かつ長大であるとの批評を受けて、短めに要点を絞って書かれたという本書「プロレゴメナ」(序論)。長大な「純理」に比し、要約版だけあって若干の読み易くはあるが、依然、難解さは付きまとう、訳者「あとがき」の助けを借りて概要は把握できた。キーワード;感性、悟性、アプリオリ、アポステリオリ、アンチノミー(二律背反)、カテゴリー、先験的感性論・分析論・弁証論・方法論、純粋直観としての時間・空間他。2013/10/11