出版社内容情報
ベンヤミンを読むことは“いま”を読むことだ――パリに移ったベンヤミンは,危機のさなかにあってクリーティシュな姿勢をつらぬき,もつれあった糸をたぐって未来への夢を紡ぎつづける.大衆化時代の芸術を考える上で必読の「複製技術時代の芸術作品」をはじめ,生涯の思考の結晶ともいうべき「歴史の概念について」に至る六篇.
内容説明
時代の強風にあおられて、その生の中断を余儀なくされたベンヤミンだが、彼の遺した仕事はこの危機の時代においてますます清新な輝きを放っている。パリ亡命後に書かれた文章のうち、大衆化時代の芸術を考える上で欠かせない「複製技術の時代における芸術作品」など、生涯の思考の結晶ともいうべき「歴史の概念について」に至る6篇。
目次
フランツ・カフカ
複製技術の時代における芸術作品
カフカについての手紙
ボードレールにおける第二帝政期のパリ
ブレヒトの詩への注釈(抄)
歴史の概念について
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
傘緑
32
「ユダヤ人には、未来を探し求めることは禁じられていた…ユダヤ人にとって、未来は均質で空虚な時間でもなかった。未来のあらゆる瞬間は、そこをとおってメシアが出現する可能性のある、小さな門だった『歴史の概念について』」ユダヤ教徒として革命を、マルキストとしてメシアの到来を、と二つの禁忌と二つの宿願を重ねているような奇妙な論考。彼の語る「カフカの作品は、互いに遠く離れた二つの焦点を持つ、ひとつの楕円」や理想と頽廃を彷徨うボードレールと同様、ベンヤミンもまた「傷口にしてナイフ」という矛盾と魔性を抱え込んだ存在なのだ2016/10/31
かふ
17
昨日、神保町の古本市で買って、読みながら帰ってきた。ベンヤミンの文章はわかりにくいのは、アカデミーの論文をめざしながらこぼれ落ちてしまう散文性に在るのだと思う。亡命トランクいっぱいの。最初が「カフカ論」でブロートによってサルベージされた成功文学ではなく、試みに失敗したアレゴリー(寓話)として読む。マルクス唯物史観やユダヤ教神学の大説ではなくアレゴリー(小さきものの)小説なのだ。それを理解すると開けてくる。以下、https://note.com/aoyadokari/n/nbf97c90832602022/03/22
ラウリスタ~
15
ベンヤミンの文章をいくつか読んだ中で、これが一番面白いのが集まっていたように思う。カフカ、複製時代、ボードレールの三本柱。あんまりややこしい文章はなく(33年の亡命以後の文章を集めているから)、楽しんで読める。「複製技術の時代における芸術作品」は、少なくとも三回目の読書だと思うが、やはり再読というのはよいらしい。今回は、ベンヤミンをよく理解することが出来た実感がある。「パサージュ論」とも関わる「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」は習俗研究、文化史研究といった感じでかなり興味深い。2014/04/13
ひばりん
13
私たちは21世紀からベンヤミンを読んでしまうから複製技術論に目が行きがちだが、19世紀からベンヤミンを読むためには相当の教養が必要だ。だから補足しよう。フランス象徴主義者は、ワーグナーの影響下に、詩と音楽の総合を企てる。しかしヴァンサン=ダンディたちのラモー復興やギリシア回帰は大衆的理解を得ず、フランス音楽は室内へ退隠し、ボードレールは大衆の中に潜む英雄的芸術家の道を行く。アンドレ・ブルトンは音楽嫌いを公言し、詩と音楽の紐帯がついに絶たれる。ワグネリズムは映画へと座を譲る。その瞬間を描くのがベンヤミンだ。2021/06/30
呼戯人
10
詩的な喚起力に富んだベンヤミンの散文を読むと、本当に電光のように閃くイメージが天上から降りてくる。彼にとって人生とは、螺旋のように渦巻く迷路と感じられていたようだが、しかし彼の散文はやわたしらずのように入り組んだ迷路を切り裂き、恐ろしく遠くまで届く探照灯のように闇を照らす。もう75年も前に亡くなった人の文章とは思えないほど今・ここにある危機を描き出す。ボードレールと第二帝政期のパリも1930年代のベルリンも、そして2015年の東京も・・。2015/08/07