出版社内容情報
一生を通じて現実生活の苦しみに苛まれ続けたギッシング(一八五七―一九〇三)にとって,わずかな慰安は少年時代から古典文学を通して憧れていた古代文明の故郷ギリシャとイタリアだった.一八九七年,一カ月ほど滞在した南イタリアでの見聞を記したこの作品は,『ヘンリ・ライクロフトの私記』で知られる作家の唯一の紀行文である.
内容説明
一生を通じて現実生活の苦しみに苛まれ続けたギッシングにとって、わずかな慰安は少年時代から古典文学を通して憧れていた古代文明の故郷ギリシャとイタリアであった。1897年、1ヵ月ほど滞在した南イタリアでの見聞を記したこの作品は、著者唯一の紀行文で、旅を栖とする作家の本領が最もよく発揮されている。
目次
ナポリから
パオラ
アラリックの墓
タラント
DULCE GALAESI FLUMEN
パラディーニの円卓
コトローネ
道端で見かける顔
お医者さまとの交友
土から生まれた子供たち
逃れの山
カタンツァーロ
爽風の山地
スクィラーチェ
ミゼリア
カッシオドールス
グロッタ
レッジョ
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
misui
8
古典時代に憧れを持つギッシングによる南イタリア旅行記。1897年から98年にかけて、読書を通じてマグナ・グラエキア(大ギリシャ)に思いを寄せていたギッシングは南イタリア実見の旅に出る。移動手段は主に馬車と鉄道。ギッシングの目に当地はマグナ・グラエキアの栄光とははるかに隔たった退嬰はびこる地と映る。が、それでも至るところに昔日の面影はあり、やや冷笑的になりながらも着実に道のりをこなしていく。古いものをこそ是とする懐古的な態度が自分には楽しかった。つらい旅は良い。2015/12/24
セレーナ
5
イギリス人作家が大好きな歴史になぞられて、南イタリアを旅した記録。宿屋の女将や熱病にやられた時のお医者さんなど、周囲の人々とのやり取りが秀逸。「現代では」という表現が多用されるが当然現代ではない。しかしあたかも「現代」旅をしているかのような気持ちになる。やはり片言でも現地語は知っていた方がトラブル対策謙、楽しむ為には有効だと確信した。今と違いしょっちゅう改定できなかった当時のガイドブックは、情報が違えていて役にたたなかったという下りが面白い。私も好きな本をガイドブックに旅に出たい。2019/04/23
繻子
3
会社の引き出しに常備している本です。あまりにも落ち込んだ午後などに読むと、ギッシングが神経をやられながら(かれは元からやられてはいるし、文章で神経衰弱な部分がよけいに強調されているけど)、皮肉と礼儀をイタリアのみなさまに(ひたすら心の中で)尽くしているようすが、すんなり読みやすい。何ページから読んでも、ギッシングの精神状態は常に同じだ。落ち着く。正しい読み方ではなくて、申し訳ないことです。2013/04/27
ゆかっぴ
3
他人からみれば何故そんな過酷な旅を?と思うような悲惨な場面もあったが、それを補うその地への憧れの気持ちが溢れでていた。深刻にならないユーモラスな文章で読みやすかった。2011/08/04
kavocha
2
とても面白い!旅行記は予備知識の不足から読みにくいことが多いが、この本はすごく読みやすかった。知らない土地の観光ではなく、自分の憧れの地域を、過去に思いをはせながら旅をしている所が気に入った。清潔でない宿泊所など様々な障壁はあったかもしれないが、全体として筆者が旅の経験をとても大切にしている感じに心暖まった。憧れのルノルマンと、帳簿のなかで対面したクライマックスの場面には特に心を動かされた。「思い出には失望が入り込む余地がない(p.49)」2021/10/21