出版社内容情報
著者は「君あしたに去りぬ.ゆうべの心ちぢに何ぞ遥かなる……」の詩を引用し,作者の名をかくしてこれを明治の新体詩人の作といっても人は決して怪まないだろう,と述べている.蕪村をいち早く認めたのは子規だが,蕪村の中にみずみずしい浪曼性を見出したのが朔太郎であり,その評価は今もゆるぎない. (解説 山下一海)
内容説明
著者「君あしたに去りぬ。ゆうべの心ちぢに何ぞ遙かなる…」の詩を引用し、作者の名をかくしてこれを明治の新体詩人の作といっても人は決して怪しまないだろう、と本書の冒頭で述べている。蕪村をいち早く認めたのは子規だが、郷愁の詩人として、蕪村の中にみずみずしい浪漫性を見出したのが朔太郎(1886~1942)であり、その評価は今もゆるぎない。
目次
蕪村の俳句について
春の部
夏の部
秋の部
冬の部
春風馬堤曲
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
新地学@児童書病発動中
113
蕪村の俳句が好きだ。絵画的で哀愁が漂う句を読むと、詩の精髄を感じる。この本で萩原朔太郎が述べているように、蕪村の句には近代人に通じる憂いがある。「愁ひつつ丘に登れば花茨」のような句の中にある限りない味わいを、萩原朔太郎は詩人の感受性を通して示してくれる。蕪村の句の中にある詩情と、萩原朔太郎の散文の中にある詩情が絶妙に混じりあって、私のような詩も俳句も好きな者にとっては、こたえられない書物だった。「遅き日のつもりて遠き昔かな」はこの本で初めて知った句。この句ののどかな詩情を「詩人の笛」と書く著者に脱帽した。2016/10/27
かふ
19
蕪村忌だという。 【今日の季語4255<1489】蕪村忌(ぶそんき):晩冬の行事季語。画業にも秀でた俳人与謝蕪村の忌日。陰暦天明三(1783)年十二月二十五日に六十八歳で没した。雅号にちなむ「春星忌」の傍題も。◆太筆に墨のぼりくる蕪村の忌(嶋田麻紀) #kigo それで蕪村忌で俳句を詠もうとしたのだがイメージ的に何も浮かばない。むしろ苦手な俳人かもしれぬ。以下、https://note.com/aoyadokari/n/n4d3fb62e4e6e2022/01/25
双海(ふたみ)
19
「一般に言って写生の句は、即興詩や座興詩と同じく、芸術として軽い境地のものである。正岡子規以来、多くの俳人や歌人たちは伝統的に写生主義を信奉しているけれども、芭蕉や蕪村の作品には、単純な写生主義の句が極めて尠く、名句の中には殆んどない事実を、深く反省して見るべきである。」・・・さすが萩原朔太郎だ。信じ得る詩人だ。ありがたい一文だ。2014/07/26
螢
18
朔太郎越しに見た蕪村の世界。国文学的な解釈として必ずしも正しいわけではないが、朔太郎の解釈にはかれの内的世界が滲み出していて、読んでいてとても面白い。「白梅や誰が昔より垣の外」なんて特にそう。これについては、わたしは朔太郎の解釈の方が好き。(たぶんわたしが朔太郎を好きだからなんだろうけど)2018/01/08
三平
14
“ふるさとは遠きにありて思ふもの” かつて室生犀星がうたったこの詩の通りに生きた人が蕪村である。摂津の毛馬村の長の妾の子として生まれ、早くに母を亡くした彼は追われるように故郷を離れたという。そして生涯、毛馬へと帰ることはなかった。きっと辛い思い出でいっぱいだったに違いない。しかし、母と過ごした里の原風景を想う心はいつまでも消えず、俳人の感性を大きく育てた。一見、叙景的に見える蕪村の句に秘められた想いを信奉者である萩原朔太郎が熱く我々に語りかけてくれるのがこの書。2016/08/02