出版社内容情報
数多い斎藤茂吉(一八八二‐一九五三)の歌論のなかから,著者の歌論の基本をなすもの,各時期の特色をあらわすもの,作歌との関連で重要とおもわれるものを中心に選び出し,執筆年代順に配列した.歌論の中心となる短歌写生と短歌声調の立論には,具体的な一首一首の懇切な検討と,自身の作歌体験が踏まえられていて興味深い.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
夜間飛行
50
《実相に観入して自然・自己一元の生を写す。これが短歌上の写生である》という。その写生の「生」とは東洋絵画における写生の「生」すなわち「実物・生動・生気」の他に、「生活・生命」まで広く含んでいるらしい。これは西洋絵画を手本とし、理想を嫌って「有りの儘」を良しとした子規の写生に比べると、ずいぶん発展した考えである。子規の写生は俳句の空間的把握に発したもので、漱石によってideaが欠けていると批判された。しかしそれは先駆者として仕方がないのかも知れない。茂吉ら後進が補っていく運動から子規の偉大さを改めて感じた。2014/11/24
壱萬弐仟縁
35
北原白秋氏の歌集「桐の花」より先き、阿部次郎、木下杢太郎 二氏との交際により、西洋の文学美術について教示をあふいだ(252頁)。写生真髄の一面は他力主義であり、受身主義であり、パツシビスムスである(262頁)。マコトは真言であるし真事。マゴコロは真心であるし真の心。ごまかしの利かない抒情詩たる短歌に於てマコトを説き、マゴコロを説くのは寧ろ当然(263頁)。史家のランケは、芸術は必ずしも歴史と共に進歩しないことを云ってゐた。写生の欠陥は真の写生によってのみ救はれる(295頁)。2021/09/25
905
1
他人が自分の定義通りに言葉を解しないからっていいじゃん、作歌に励めば、と思ったが、時代や状況を考えると声を上げざるを得なかったんだろう。でも、批判と反批判の応酬みたいのは読んでて冷める。若いころの文章はともかく、終盤の春夏秋冬のエッセイ的な文章はよかった。2022/10/14