出版社内容情報
人の世の無常を感じ出家遁世した長明(一一五五?―一二一六).が,方丈の草庵でもなお「汝すがたは聖人にて心は濁りに染めり」と自責せずにはいられない.この苦渋にみちた著者の内面と,冷静な目によって捉えられた社会とが,和漢混淆・対句仕立ての格調ある文章で描かれる.長明自筆といわれる大福光寺本のすべての影印と翻字を付した.
内容説明
人の世の無常を感じ出家遁世した長明。しかし方丈の草庵でも安住できない。この苦渋にみちた著者の内面が、和漢混淆・対句仕立ての格調ある文章によって表現され、古来人々の愛読する古典となった。長明自筆といわれる大福光寺本のすべての影印と翻字を付す。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
339
人口に膾炙した「ゆく河の流れは絶えずして」に始まり、「桑門の蓮胤、外山の庵にして、これをしるす」と閉じられる『方丈記』は、その全編に中世的無常観が漂う。同じ時代を生きた藤原定家は、奇しくも『明月記』の治承4年(福原遷都の年)の項に「紅旗征戎、吾ガ事ニ非ズ」と記したが、長明は人々の悲惨な境遇にも傍観者ではいられない。例えば、元暦2年に度々起こった地震に際しても、子を喪った親の悲しみに共感せざるを得なかった記述などに顕著である。真の天才芸術家(定家)と、苦悶のディレッタント(長明)の違いであろうか。 2013/04/24
ykmmr (^_^)
127
日本三大随筆。『素行無常』と『もののあはれ』。自分の地位を捨て、狭い庵の中で、『生き方』を考える。自分が決めた事でも、それが『完璧』ではないという現実。托鉢修行をし、また『人生』を省みても、やはり『完璧』ではないのだ。それを世の世情と比例されるところもあり、彼の立場から見える当時の『歴史』が伺える。確かに自分も、吉田兼好よりも西行と比べた。皆、歴史上の人物云々と言う前に、一人の人間。これが彼の『美意識』・生きる上の『ノウハウ』なのかもしれない。2022/04/03
Willie the Wildcat
93
天災・人災に振り回される中、自然と共に生き、「生」を問う。読んでいる時に何度も頭に浮かんだ言葉が、『諸行無常』。過去の地位を自ら捨てたにも関わらず、都で托鉢時に恥辱を感じるなど、必ずしも悟りを開いて達観している訳でもない蓮胤。西行との対比でも垣間見る、”ブレ”のある人間臭さも、本著の魅力となったのかもしれない。本著は自筆本が底本とのことで選定。明解な注記がもれなく理解を深め、付録に盛り込まれた補足情報も秀悦。その分、少々読むのに手間はとりますが、その価値は充分にある気がします。2022/04/02
syaori
58
作者は源平の争乱とそれに続く動乱の時代を生きた人物で、本書は「短き運をさとり」出家した作者が、蚕が「繭を営む」ように作った小さな庵で綴ったもの。描かれるのは国の擾乱に先立って起きた火事や地震などによる「わが身とすみかとのはかなくあだなる」無常の様と、そんな財産や栄達に心を乱す「俗塵」から解放された山中の暮しの尽きることのない興趣。ただ作者は世間と関る時には「乞匈となれることを恥」じると、悟りきれないところも匂わせるのですが、端正で美しい文と共に、そんな面も本書が長く愛されてきた理由なのだろうと思いました。2019/02/19
びす男
58
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。この名文を読みたくて買った。今日まで日本橋で公開されている「報道写真展」を見た後でのことだ。今年も色んなことがあった。来年も、きっと色んなことが起こる。鴨長明の言葉を借りるならば、「流れゆく水」を手でちょっと掬いとることが、「報道」と呼ばれるものの使命なのではないか。「日本三大随筆」に数えられるだけあり、無駄のない、洗練された文章であった。世間にいた頃の、悲惨な思い出を列挙してもいた。これも立派なジャーナリズムだよなぁ、なんて思う。あとで書評かきます。2014/12/24