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ブックレビュー-アート&コミック
『何が映画を走らせるのか?』
山田宏一



走る映画史!

柳下毅一郎 Kiichiro Yanashita
『何が映画を走らせるのか?』
『何が映画を走らせるのか?』
山田宏一著
松村恵理訳
草思社/3,990円(税込)
ISBN479421460X
    
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BOOK

 映画史とはこういうものである。十九世紀の終わりにリュミエール(とエジソン)が映画を発明した。メリエスがトリック映画を作り一世を風靡する。グリフィスは『国民の創世』でアメリカ初の長編映画を作り、「アメリカ映画の父」となる。

一方、ドイツでは表現主義が大いに栄え、フリッツ・ラングは『メトロポリス』でサイレント映画の頂点をきわめる。やがてトーキー時代に入ると、戦争で疲弊したヨーロッパにかわってアメリカ映画が世界の覇権を握る。戦後のイタリアではネオリアリスモが勃興し、ロッセリーニらが鮮烈な映画を送り出す。その後フランスからヌーベルバーグが登場し……。

  さまざまな国で映画の新しい潮流が生まれては、巨匠が名作を発表する。教科書的な映画史はそのくりかえしとして語られる。整然として、まっすぐ前に進む歴史の流れだ。まるで年表のように正確で、味もそっけもない。

だが、映画はそんなにシンプルなものだろうか? 一と一を足したら二になり、二の次には三が来ると決まっているのなら、映画など見る意味もない。いや、映画はよそ見をし、回り道をし、思いもかけぬ方向に谺し、そして予想もしなかったところから帰ってくるようなものではあるまいか? ならば映画史もそうあるべきだ。軽やかにスキップして脱線していくように見せかけながら、気がつくとゴール地点に先回りしているような。

  山田宏一の『何が映画を走らせるのか?』は走る映画史である。山田宏一の本がいつもそうであるように、息せき切って走りながら寄り道をする愉しみをたっぷり教えてくれる本だ。同じ場所からスタートしたからといって、同じように決められたコースを走らなければならないわけでない。つい立ち止まって花や虫を眺めたり、路地に迷いこんだり、買い食いをしてみたり、思い出して走り出してみたり。そしていちばん楽しいのは迷子になっているときだったりもする。それが映画の悦楽という奴だ。

  『何が映画を走らせるのか?』も、もちろんリュミエールからはじまる。だがもちろんすぐに豊饒なる寄り道がはじまる。メリエスが「スター・フィルム」を設立したときから映画「スター」が生まれ、スターとともに映画は発展してゆくことになる。スターの輝きに魅せられた人々が映画を撮り、映画について語り、観客として金を払うようになるからだ。彼らこそ光に目を眩まされた迷子、輝きに狂った狂人たちである。映画史を作りあげたのはそんな迷子の詩人と狂人たちなのだ。

  山田宏一が語る迷子と狂人は素晴らしく魅力的だ。ここではセルゲイ・エイゼンシュテインは映画美学を一変させた謹厳実直な共産主義の英雄ではなく、映画会議に集まった城で甲冑や武具を勝手に持ち出し、即席の映画を作るいたずらっ子である。

フランスで即興映画を作って路銀の足しにしながら旅をつづけるエイゼンシュテインはついにはメキシコまで流れていく。日本最古の映画会社、日活を作った梅屋庄吉は孫文とも交流があった元大陸浪人なのだが、フランスのパテ社の代理人となって東南アジアで野外テントを張り映画興行をしていた香具師である。彼が最初に作ったのが女芝居一座が主演する作品だった。本来の歌舞伎(女役は女形が演じる)からすればゲテモノでしかない際物映画で人気を集めたのである。

  シネマテーク・フランセーズの創始者アンリ・ラングロワは映画コレクション以外の何にも金を使おうとしなかったため、借金だらけで電気も電話も止められ、死後二週間たつまで誰にも発見されなかった。

真夏でも厚手のコートを着こみ、世界中から貴重な映画を盗み集める映画泥棒にして文化の擁護者。あるいは無声映画時代に三面スクリーンの同時上映を考案したアベル・ガンスはどうだろう? ガンスの考案したトリプル・エクランを見たフランス人アンリ・クレティエンは歪曲レンズを発明する。

それから二十年後、テレビに対抗するために画面の大型化を図っていた二十世紀フォックスは(すでに権利が切れていたにもかかわらず)大枚はたいてその方式を購入、シネマスコープとして売り出した。ガンスの狂気はさまざまな人に伝染し、ついに三十年後に実現する。映画狂いたちが織りなす華麗なるタペストリー、これこそが映画史というものだ!

  オーソン・ウェルズはエイゼンシュテインの映画に「冷ややかな批評」を書いたことを心から悔いていた、と山田宏一は書く。「冷ややかな批評なんて誰の役に立つ? 冷ややかな批評が人類の知的遺産にいくらかなりともプラスするか?」さりげなく「座右の銘だ」と書くこの言葉こそ、本書にもっともふさわしい賛辞である。

山田宏一は決して冷ややかな年表など書かない。その歴史はとても熱くてダイナミックなのだ。

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