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TOPICS インタビュー 記憶の中の本たち

沼地のある森を抜けて


梨木香歩
   
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はじまりは「ぬかどこ」だった。先祖伝来のぬか床が、うめくのだ―。
この小説に描かれる生命観は、あたたかく、深い。描かれる物語世界は、不思議なようでいて、現実性に満ちている。この世界観は、いったいどこから来るのだろう? ―その秘密を探るため、作者の梨木香歩さんに、お話をうかがった。
 
「日東コーナーハウス」外観
『沼地のある森を抜けて』
新潮社/1,890円(税込)/ISBN4104299057
死んだ叔母のぬか床を受け継いでから、主人公・久美の身のまわりには不思議なことが起こり始める……生命を描いた書下ろし長編小説。
――拝読しながら「生命とは何なのか」ということを深く考えさせられました。また、エッセイ『ぐるりのこと』でも考察されていた「自己と他者の境界」についても描かれていて、この小説はエッセイでの問題提起に対する回答だ、とも感じました。とても豊かな物語世界に引き込まれてしまったのですが、これらの生命描写の原点について、お聞かせください。

 そのようにお考えになってくださって、とても嬉しいです。『ぐるりのこと』ではエッセイという形式で自分のできるぎりぎりまでやった、と思っています。もうそこから先は「物語」或いは「小説」という場に持ち込まなければ、どうにもならない、と。それで、なかなか書き進められなかった『沼地のある森を抜けて』を仕上げるほか、そこから抜け出せる手立てはなくなってしまいました。『沼地……』に着手したのは四年ほど前だったのですが、道の全くない荒野に新しく道をつけてゆくような拠り所のなさとダイレクトに向き合うために、私自身が安らぎを感じるような(例えば植物とかの)描写も全く入れず、いわばなりふりかまわぬ小説でしたので、途中苦しくて、『家守綺譚』の掌編を折々に書いて、自分のバランスをとる必要がありました。でもこれは原点と言うよりは現場の話ですね。

――主人公・久美の二人の叔母、時子叔母さんと加世子叔母さんは、とても対照的な人物のように感じます。「沼の人」を見る能力のある人とない人、という違いと同時に、共感能力があるかどうか、という違いがあると感じました。それが加世子叔母さんの「ぬか床から認められなかったのは、私」という言葉に表れているのかな、と思うのですが。

 ああ、共感能力という言葉はとてもぴったりですね。特殊性に対する共感能力。そうですね、あの発言自体、加世子叔母さんという人の本来のコンテキストからは少し外れていました。きっと、長年、彼女の中にああいう言葉を吐かせるような思いが育まれていたのでしょう。おそらく無意識から出た言葉で、彼女自身、驚いたのではないでしょうか。人間の性質というのは大体一貫性があるように見えるけれども、その皮膚一枚下には変幻自在の思いが、これも実はある一貫性を持って流れているのかも知れない。ぬか床的状況、なのでしょう。

――不思議で魅力的なキャラクターがたくさん出てきますが、特に、不思議だけどどこかにいそうな人柄の風野さんと、彼の飼う粘菌の、ケイコちゃん、タモツ君、アヤノちゃんとのエピソードがとてもかわいくて、思わず顔がほころんでしまいました。また、ぬか床から「光彦」が出てきたところの描写などは、生命って本来こういうものなのかも、という感覚になるほどリアルに感じられました。梨木さんは、現実と非現実の境界とリアリティについては、どのような感覚をお持ちですか。

 境界はしっかりあるべきだと、今はそう思います。こちら側から向こう側へ通じるための必死の努力があってこそ、そこに輝くような生の手応えがあるのだと。境界が弱く、どうでもいいようなものになってしまうと、プリミティヴな一体感への希求、麻薬的なグルーヴ感だけに支配された世界になってしまう。私たちの世界の――精神世界としても生物系としても――まだそこまでに至っていない、この進化の段階では、まだ早すぎる。現実世界の精神性が、もっと高く成熟された後でなくては。その準備段階としての意味でも、しっかりした境界とリアリティの中を生きる、そして非現実の世界へも開かれて在る、ということは意味のあることだと思います。ちなみに「プリミティヴな一体感への希求」ということの、現代での最も稚拙な顕れがファシズムだと思っています。

――「ぬか床」をめぐる物語と「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」とが描かれる最後のエピソードを読んで、「生命」と「性」、「自己と他者の境界」といったすべてのテーマが融合して、ひとつの結論が出たように感じました。この結末は、執筆を始められる前から想定されていたのでしょうか。

 漠然とは、見えていたような気がしますが、実際、どのような形で、というのは書いてみないと出てきませんでした。それは本当に不思議な現象です、書くということは。脳が指令を発して指先が文字を綴るまでの間に、目に見えない何かの関与があるのではないかと思うぐらい、意識では思いもかけないことが展開したりします。なので、書きながら、ああ、こういうことだったのだ、という驚きと到達感がありました。それは私にはかけがえのないものでした。

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