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ブックレビュー-サイエンス
『脳のなかの幽霊、ふたたび
――見えてきた心のしくみ』
V・S・ラマチャンドラン



異分野を浸食する脳科学の魅力がつまった一冊

山形浩生 Hiroo Yamagata

『脳のなかの幽霊、ふたたび―見えてきた心のしくみ』
『脳のなかの幽霊、ふたたび
――見えてきた心のしくみ』

V・S・ラマチャンドラン著
山下篤子訳
角川書店/1,575円(税込)
ISBN4047915017
    
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BOOK

 幻肢という現象がある。手足を切断した後でも、かつての手や足の感覚が残るという不思議な現象だ。これを臨床的に研究し、そこから脳の機能について刺激的な考察を行っているラマチャンドランの好著『脳のなかの幽霊』の続編が出た。『脳のなかの幽霊、ふたたび』だ。

  いや、厳密には続編というわけじゃない。もともと別の本として出ていたのを、日本側が営業的な配慮で続編っぽくこしらえて出版したものだ。前著がライターを入れて書かれた一般向け解説書だったのに対し、今回の本は連続講義録。とはいえ、どちらも著者の研究をベースにした脳の働きについての本だから、続編とするのもさほどの違和感はない。

  この種の講義録は、欧米では伝統のある形式だ。それこそファラデー『ロウソクの科学』以来の、学者による一般向けの(だが手抜きのない)講義だ。経済学者ポール・クルーグマンはこうした連続講義が大のお気に入りだそうだ。小遣い稼ぎになるし、さらに論文だとガチガチに実証したりモデル構築したりして固めなければいけないのに対し、こうした講義だとそうした厳密性が要求されないので、思いつきや仮説段階の話でも自由に語れるからだ、と。そして本書のラマチャンドランも(小遣いの部分はさておき)まさにその通りのことをやってくれる。

  講義は全五回。最初は幻肢の話から。続いて、ミラー・ニューロンの機能について。第三講は、芸術の役割。第四講では共感覚(味が形として感じられたり、数字が色として感じられたりといった、感覚がちょっとずれて配線されている現象)、そして最後には、自己とは何でそれが進化的にどう位置づけられるのかが語られている。

  それぞれの講義はとても短く(通学通勤電車の片道で楽に読み終えられる)、また独立しているので順番通りに読む必要もない。だがそのどれもが、よい意味での思いつきと仮説のオンパレードだ。特に第三講以降。一体、芸術というのは何の役目を果たしているのか? 各種の説(進化上有利なものを美しいとするのだ、単なる同族意識の醸成のツール等)を紹介した後でラマチャンドランがたどりつくのは、芸術というのが人間の脳の各種機能をプローブするために存在しているという説だ(僭越ながらぼくもこれとまったく同じ説を主張しているので大満足である。1*)。

また共感覚から言語におけるミラー・ニューロンの話を引き出し、言語の進化論的な基礎付けを実に手際よくスティーブン・ピンカーより精緻に行ってしまう第四講はだれでもうならせられてしまうだろう。ソシュール的な言語観では、言葉と意味との結びつきは恣意的で、犬が「いぬ」という言葉で表現されるのは、単なる偶然だ。しかしラマチャンドランは、言葉がそんなに自由ではないことを指摘する。言葉の音と概念との間にははっきりした結びつきがある。そこにこそ言語の生物学的な基礎があるのだ。

  そして最終講義。自己とは何かを、クオリアの議論と関連させつつ、「他者の心のモデル」を作成する機能の進化に伴って形成された自分自身に関するモデルこそが自己なのだろうと提唱して、それが精神分析をはじめとする各種の分野に与える大きな影響について自由に考察する本章は、デネットやドゥ=ヴァールらが分厚い本、数冊がかりで述べた内容を数十ページで明快に述べてしまう驚愕の一章。かなり大胆な仮説も多いけれど、それがかえって脳科学の今後の可能性をうかがわせてくれる。

  本書の唯一の欠点は、養老孟司による巻末の支離滅裂を通り越した「解説」なるシロモノ。養老は『脳のなかの幽霊』の解説まがいでも、著者名をまちがえるという信じがたいポカをやっているが(だれかチェックしてやれよ)、今回はそれに輪をかけてひどい。脳科学を普及させると反戦になるとか、考え方がヒンズー式だとか、自我の不在はアメリカでは書けないとか(なんで?)、根拠レスな妄言のオンパレードだ。かれの言う『バカの壁』なるものが単にご当人の説明能力欠如にすぎないこともよくわかる。

店頭でこの「解説」を読んだらみんな買うのを控えるだろう。そういう不幸な出会いをしてしまったあなた、是非とも本書にもう一度機会を! 学問の細分化やタコツボ化が嘆かれる中、多くの異分野をじわじわと浸食してそれらをオーバーラップさせつつある、脳科学の一番おもしろい部分がこの一冊には凝縮されているんだから。そして講義部分を二度ほど読んだら、巻末の長大な注にも是非目を通して欲しい。講義部分より遙かに得体のしれない各種仮説や研究が怒濤のように紹介されていて、本文に数倍する圧巻ぶりだ。

1* http://cruel.org/diatxt/ を参照。

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