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新宿のイコンたち,60’s

<アンケート>私と60年代の新宿

              
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Q1 1960年代の新宿で特に印象に残っている「場所(イコン)」をひとつ教えてください。
Q2 その場所についてのご自身のエピソードをお願いいたします。


■今泉省彦(画家、美学校元代表)

A1
ションベン横丁

A2
  東京西郊の者にとって、親に貼り付いて電車を利用する年齢を過ぎてからは、新宿という駅名を否応もなく憶えてしまうことになる。私は旧制中学三年から油絵具を使い出したけれど、電車通学のいい按配で、上野の美術館や銀座・日本橋界隈の展覽会の帰りはキセルときまっていた。

1962年ごろ、新宿西口ヨドバシ浄水場跡
(新宿歴史博物館蔵)

新宿の街に出るようになるのは学生になってからだが、東口側の駅舎はドーム型だったと記憶する。紀伊國屋は勿論のこと、荻原守衛や中村彝を庇護した中村屋、二階吹き拔けの壁面を利用していい画家の大作展をやっていた風月堂、日本茶の喫茶「青蛾」、靖國通りには都電が走っていたっけ。

  そして改札だけの素氣ない西口を出ると線路にそって小便臭い飲み屋街で、そこで喰ったべらぼうに安いシチュー。これを出す店は二、三軒あったかなあ、腐敗防止に砂糖とカレー粉でどろどろに煮込んだ代物で、訳知りの噺によると進駐軍の残飯を集めてきて作るのだそうであった。

栄養価は高かったに相違ないが、ある日、隣りで喰っている奴の深皿からスプーンが出てきた。あとで仲間に話したら、スプーンならまだいいよ、コンドームが入っていたことがあったぜと言った。それでもめげずにこのシチューを喰いに吾々は西口の改札を出たのであった。もっともこれは五〇年代初めの頃の話である。

  60年代は、学生とそれとおぼしい若者の反乱の季節と括っていいのではないかと私は思う。既成の様々な制度に対する不信頼を強く持ちながら、一方で高度経済成長のおかげで若者はなにがしか喰えるようになっていた。東口広場を占拠した若者達が「ここは道路じゃないから、道路交通法違反とは違うぞ」といきまいたり、花園神社境内にテントを張った唐十郎ひきいる状況劇場の公演が注目を浴びたり、60年代を概括するならばアナーキーそのものと思えたが、私にはいまだに新宿というと新宿駅西口の線路にそって並ぶ飲み屋の残飯シチューが原風景なのである。


■川本三郎(評論家)

A1
紀伊國屋書店

A2
  東京オリンピックがあった一九六四年に大学に入学した。当時の新宿は活気があり、学校に行くより新宿に行き、映画を見たり、ジャズを聴いたりすることのほうが多かった。

  新宿の町が新しくなった。駅が明るく改装された。そして紀伊國屋書店の新しいビルが完成した。

  この建物は新鮮だった。まず一階が通りの裏と結ぶプロムナードになっている。公共空間として利用出来る。

  エスカレーターを上がると右にまずレコード店(帝都無線)がある。書店の入り口にレコード店とは、いかにもビートルズやボブ・ディランの時代にふさわしかった。

  さらにホールがあり、そこではしばしば映画の上映があった。ルイス・ブニュエル、フランソワ・トリュフォー、あるいはポーランド映画。ホールが名画座の役割を果した。

  当時、若い世代に絶大の人気があった吉本隆明の講演をはじめて聞いたのはこのホールでだった。

  友人たちとの待合せの場所は、ほとんど紀伊國屋のエスカレーターのところだった。そこで落ち会ってホールに上がったり、あるいは伊勢丹の前にあったアートシアターに行ったり、木馬やピットインなどのジャズ喫茶に行ったりした。

  一九六〇年代は日本もアメリカも「若者の時代」だったが、その新しい波の中心に紀伊國屋があったと思う。


■山口勝弘(筑波大学名誉教授、神戸芸術工科大学名誉教授)

A2
  今やマンハッタン化した新宿の一九五〇年代の出来事を二つ書き止めておきたい。
風月堂での「実験工房メンバーによる新しい視覚と
空間を楽しむ夏のエキシビション」。
手前に掛かっている作品が山口勝弘作「赤い町」。
写真:北代省三(『第11回オマージュ滝口修造展〜
実験工房と滝口修造Experimental Workshop』。
佐谷画廊、1991年)

  一つ目は音楽喫茶の風月堂での「実験工房夏のエキシビション」。一〜二階吹抜けに北代省三のモビールが揺れる中で秋山邦晴企画の電子音楽とミュージックコンクレートのレコードコンサートが行われた。

  二つ目は電子音楽の創始者、カールハインツ・シュトックハウゼンが私のアトリエを訪れた時のこと。「どこかエキサイティングな処へ行きたい」という希望を二つ返事で引き受けた私は、彼を連れて区役所裏のゴールデン街にあったオカマバーへ出かけることにした。

そこで寒い中、彼と二人でオカマバーの臍踊りを見た。ゲイたちは碧眼の珍客に大喜びであり、マジックで顔を描いたお腹のくねくねとした動きにカールは目を白黒として、あれよあれよという間に奥さんからのプレゼントらしいマフラーを取り上げられたということの次第は、彼の望みにかなえられたと私も満足のこととなった。

後日、大阪万博のドイツ館を独り占めにしたシュトックハウゼンに会うと、未だ新宿の出来事を喜んでいた。

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