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essay

空想の都市建築史
第五回

幻のオリムピック(上)

橋爪紳也  Shinya Hashizume
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皇紀二六〇〇年東京オリンピック

 昭和十一年(一九三六)七月三十一日、第十一回ベルリンオリンピック開会式の前日にIOCの総会が行われた。ここにおいて対抗馬ヘルシンキを九票差で破り、次回の開催都市が東京に決まる。紀元二六〇〇年の記念となる昭和十五年において、アジア初の巨大スポーツイベントを主催する栄誉をかちとったのだ。

 話は昭和五年にさかのぼる。二度目の東京市長に着任した永田秀次郎は、紀元二六〇〇年の記念事業にいかなるイベントがふさわしいかを摸索していた。そこで秘書課職員清水照男が東京での五輪開催を提案する。永田はこれに同意を示した。

 同じ頃、わが国における電気工学草創期の権威であった早稲田大学教授山本忠興も同様の夢を抱いていた。昭和四年の秋、山本は東京で行われた「国際動力会議」で来日したジークフリート・エドストロームと懇談した。彼は電気工学の大家であると同時に国際陸上競技連盟会長でもあった。山本はエドストロームに東京五輪の可能性を問いただし、「オリンピック開催を希望する都市がIOCに名乗りをあげること」が必要だという言葉をひきだす。

 永田は、水面下での動きをすすめる。昭和五年六月、第三回世界学生陸上競技選手権大会にあって日本チーム総監督として渡独する山本に、欧州スポーツ界の状況を調査して欲しいと依頼する。その後、ロスアンゼルス五輪で三段跳びの南部忠平や馬術の西竹一が金メダルを獲得、国民のオリンピック熱は一気に高まってゆく。昭和六年十月二十八日、東京市会では満場一致で第十二回オリンピック大会の招致を決議した。

 そして冒頭に記した開催決定の瞬間を迎えたのだ。その日、銀座の街頭は日の丸と五輪旗に彩られ、神宮外苑や日比谷公園など市内十ヶ所で千発もの花火が打ち上げられたという。帝都の上空を飛ぶ三機の飛行機から、「祝! 紀元二六〇〇年、東京オリンピック開催決定」のビラ二十万枚が撒布された。

月島の新都市構想

 その初期にあっては、市はメインスタジアムをはじめとする主要な競技場を隅田川河口部、月島の埋立地に建設する構想をもっていた。この連載でも紹介したように、月島は万国博覧会場に利用することも検討されていた。スポーツ施設群と五輪会場を併置、加えてさまざまな都市施設を複合させる新都市開発が意図されていたわけだ。

 背景には市の抱えていた重大な課題があった。たとえばオリンピック招致にあって重要な役割を担っていた市会議員寺部頼助は、昭和七年五月二十三日、浅草公会堂で行われた「スポーツに関する講演と映画の會」にあって、「私の使命」と題する講演を行っている。そこにあって寺部は近く完成する分も含めると百六十万坪にもなる埋立地をいかに処分するのかが、市債償還のうえからも大きな問題であると私見を述べている。

新たな造成地のうちわけで港湾施設などに使用する残りの土地は、おおよそ百万坪にのぼる。これを単に工場や倉庫、住宅などで使いきるのは困難である。寺部は深川埋立地の「前方地帯」、すなわち月島の埋立地などは、飛行場、競馬場、野球その他の運動競技場、遊園地、劇場および活動写真、あるいは「国際的旅館」などを設けて歓楽地帯にしなければ将来的な発展はないとみている。

 もっとも月島で検討されたこのスポーツ施設群建設計画は、オリンピックの計画が具体化するなかで破綻する。海浜部での競技は風が強いために運営上支障がでることが懸念され、また万博会場と隣接することに関してスポーツ関係者の支持が得られない。また埋立地に巨大な競技場を建設することに対して、技術的問題があるという意見もあったようだ。

オリムピック新商売集

 五輪招致には帝都全体の「繁栄策」という認識もあった。実際、市会議員であった寺部は、外国人が多く来日するであろうオリンピックは、市民の経済活動にも好影響があると断じている。彼は百万人にも達するともいわれたロスアンゼルス大会の外国人観光客に対して、東京でも五万人か十万人の海外からの来客があるだろう、ひとりが千円使うと計算しても一億円が市民の懐に入ることになると、五輪による波及効果を強調している。

 民間も同様であった。オリンピック開催が決まり、「オリムピック」「オリンピック」「五輪」という形容を商品名に利用するところ、またいわゆる五輪マークを自社商品の意匠に使用する例があいついだ。当時の雰囲気を良く伝える資料として、雑誌『商店界』の昭和十一年十月号特別付録『オリムピック新商売集』(誠文堂新光社)という小冊子がある。

 前半は「皇紀二六〇〇年オリムピック 東京招致商店心得」と題する特集である。外国人が多数、来日するであろうと予想のもとに、このビジネスチャンスに「商売人たるもの大いに腕によりをかけなくてはなるまい」としている。ドイツでの先例を紹介、オリンピック開催の初日には人口四百五十万人のベルリン市が、「一躍六百万人に飛躍した」と述べ、東京でも「百万やそこら」は人の急増があるだろうと皮算用をはじいている。

 またこの「東京インフレ」は、東京だけの繁栄ではなく、日本各地の観光地におよぶだろうとみている。そこで各商店は、「イエス・ノー程度の英語を知ること」「値札をはっきり算用数字で書くこと」「陳列室なり入口なりに外国人歓迎の文字を入れること」「旅行小切手でも受け取る旨も店の外に書くこと」などを指導している。さらに商店街は各国語のできる案内人を配置すること、また欧文で書かれた案内書の用意が必要であると主張している。

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