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四十

宇野邦一

映像身体論


●宇野邦一さんエッセイ「なぜ映像は身体の問題なのか」

 こんどみすず書房から『映像身体論』という本を出すことになった。私のはじめての映画論だけれど、映像と身体を考えながら、同時にこれまでに書いてきたことの多くを点検することになった。若いときからの思い出がある紀伊國屋書店に、自分で選んだ本を並べることになると、いろんな思いがわいてくる。最初に出した『意味の果てへの旅』(青土社刊)から、いったいどれだけ進歩したのか。どんな歩みをしてきたのか。いまは、どこに向かっているのか。その大部分は会ったこともない読者たちは、いったいどうしているのか。そんなことも気にかかってくるのだ。

 ずっと同じ問題に執着してきたようだが、ずいぶん彷徨したようにも思う。批評と哲学の間を往復しながら、思考の散文をどう書くか、いつも気にかけてきた。二十歳の頃に読んだ小林秀雄と吉本隆明からは、批評的散文の文体や強度について大事なことを教わったが、その後さらに強烈な著者たちのフランス語原文に接して読解と翻訳を繰り返すうちに、また書き方を鍛えられたように思う。アルトー、ドゥルーズ、ベケットの貴重な作品を訳すことができたのは、幸運なめぐりあわせだった。

 しかし、期せずして、いままでの仕事を総括するような文章になっている。これは思い出深い新宿の紀伊國屋書店のせいなのであるが、やはりいま現在の<思想>の話をしなければならない。

『映像身体論』はまず映像のほうにもぐりこんで、もういちど身体のほうに出て行く、という道をたどることになっている。当然ながら、映像は知覚される。映像を見ること・見せることは、知覚を操作することである。そういう意味で、映像は様々に知覚を操作する力がせめぎあう場所である。映像はただ二次元のイメージではなく、映像を知覚する身体の奥行きの中で、さらにはその身体を規定する歴史的奥行きの中で考えなければならない。このことは、この本にとって基本的立場である。そこでそれぞれの映像が、どういう種類の力を生み出し操っているのか、これを批評することは、そのまま、映像によって作動している私たちの社会の力関係の分析につながる。ドゥルーズのように、映画の<時間>を哲学することは、<空間>の中で明かに見えている映像の、あらゆる見えない襞を思考することにつながっていく。見えない襞には様々な力関係が、生のドラマが折りたたまれているのである。それはただ見えないのではなく、見ようとすれば見えるものでもある。ドゥルーズの『シネマ』以外に、セルジュ・ダネーの『不屈の精神』のような本からも(残念ながらいま入手が難しい)、私はこういう映像の思考をかきたてられてきた。

映像論も身体論もいまでは数多く存在するが、ほんとうに批評的、批判的な思索と思えるものはわずかしかない。ここにあげた本のリストから、映像身体論という一つの問題系が浮かび上がり、また何人かの親しい著者たちの本とともに、この時代の思想の、これだけは保持したいという<抵抗線>が描き出されることを願う。

【宇野邦一】


●宇野邦一さんプロフィール

宇野邦一さん1948年松江市生まれ。京都大学、パリ第8大学で学び、ジル・ドゥルーズの指導を受けてアルトーに関する博士論文を書いた。
ドゥルーズ、アルトー、ベケットなどの翻訳、思想・芸術・文学を横断する批評活動が、主な仕事である。現在は立教大学現代心理学部映像身体学科教授として、演劇、ダンス、映画などの創作・批評の基礎になる身体論、身体哲学を模索している。

○ 主な著書:『アルトー 思考と身体』(白水社)、『他者論序説』(書肆山田)、『ドゥルーズ 流動の哲学』(講談社)、『反歴史論』(せりか書房)、『ジャン・ジュネ―身振りと内在平面』(以文社)、『破局と渦の考察』(岩波書店)、『<単なる生>の哲学』(05年、平凡社)など
○ 主な訳書:ドゥルーズ『フーコー』、『』(河出書房新社)、ドゥルーズ/ガタリ『アンチ・オイディプス』(河出文庫)、ベケット『伴侶』、『見ちがい言いちがい』(書肆山田)

●近況(宇野邦一さん談)

ラフカディオ・ハーンのエキゾチズムについて書いています。以前に出した『他者論序説』という本の続きともいえます。
リトルモアから創刊される雑誌『真夜中』に、詩的断想のような文章を書き始めました。これからも、果敢にいろんな書き方を試したいと思っています。

ネグリとドゥルーズ/ガタリのマルクス理解について考え直してみたい。ネグリの語る<生政治>、<時間>という問題は、ひとごとと思えません。
難しい問題なので、すぐ書けるかどうかわかりませんが。

●宇野邦一さんの著書・訳書


映像身体論
映像身体論(新刊)

宇野邦一【著】
みすず書房(2008-03-19出版)
3,360円(税込)

◎ 映像メディアは、知覚と身体をいかなる次元に導いてきたのか。
スペクタクル社会に空隙をうがつ「時間イメージ」の諸相とは、はたしてどのようなものなのか。
ジル・ドゥルーズ晩年の主著『シネマ』の問いを受けとめつつ、「身体の映画」の新たな可能性を切り開く論考。

シネマ〈2〉 時間イメージ シネマ〈2〉 時間イメージ

ジル・ドゥルーズ【著】、宇野邦一、石原陽一郎、江澤健一郎、大原理志、岡村民夫【訳】
法政大学出版局(2006-11-15出版)
ISBN:9784588008566
4,935円(税込)

“単なる生”の哲学―生の思想のゆくえ “単なる生”の哲学―生の思想のゆくえ

宇野邦一【著】
平凡社(2005-01-24出版)
ISBN:9784582702552
2,100円(税込)

宇野邦一さんコメント:
<生政治学>の問題を、生物学、ニーチェ、権力論、芸術論の交点にあるものとして素描した本である。フーコー、アガンベンの生政治学と、ドゥルーズの生の哲学はどこで結び合い、すれちがうのか、考えてみた。この本はもう少し多くの人に読んでほしいと思っている。

破局と渦の考察 破局と渦の考察

宇野邦一【著】
岩波書店(2004-12-17出版)
ISBN:9784000244268
3,045円(税込)

宇野邦一さんコメント:
この評論集は少し破格なつくりになっている。目次も、文章のタイトルもなくした。読者は既成の意味に導かれずに、思考の渦に投げこまれる。
もちろん、そういう読書に耐える言葉でありえているか、作者にとっても危うい試練である。

画像はありません 意味の果てへの旅 新装版

宇野邦一【著】
青土社(1996-10-14出版)
ISBN:9784791754885
2,446円(税込)



■場所 紀伊國屋書店新宿本店 5Fカウンター前
■会期 2008年4月7日(月)〜5月上旬
■お問合せ 紀伊國屋書店新宿本店 03-3354-0131

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