内容説明
「世界の悪者」にされNATOの空爆にさらされたユーゴ。ストイコビッチに魅せられた著者が旧ユーゴ全土を歩き、砲撃に身を翻し、劣化ウラン弾の放射能を浴びながらサッカー人脈を駆使して複雑極まるこの地域に住む人々の今を、捉え、感じ、聞き出す。特定の民族側に肩入れすることなく、見たものだけを書き綴る。「絶対的な悪者は生まれない。絶対的な悪者は作られるのだ」。(解説・田中一生)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
姉勤
34
ストイコビッチをはじめ、J リーグで活躍、W杯で活躍した旧ユーゴスラビア出身の選手と著者のつながりを通じて、当時のユーゴ紛争のメディアと現実の乖離を文字として残す。ソ連崩壊からの旧秩序の崩壊。支配という多民族共存の理想の国のタガが外れ、憎しみの坩堝と化す。戦争とは武力を使った利害交渉。そして物量が優劣を制する。圧倒的情報量が、正邪を定め、悪は殺されて当然という空気を作る。悪とされたセルビアの各地を訪ね、被告であり原告でもある、人々の証言を聞く。虚飾を剥ぎ取った後の、人間の生のハラワタ。恩讐は彼方にあらず。2019/06/22
ロア
14
軍需産業がある限り戦争は絶対になくならないし、NATOは最悪だってこと。2005/01/01
sasha
11
多分、サッカーが分からなくても読める旧ユーゴスラビア現代史だ。著者のストイコビッチへの思い入れは凄まじいが、それを割り引いても良書。民族浄化=セルビア人なんて簡単には片づけられないのだ。カバーに使用されているストイコビッチの写真。胸に書かれたNATOによるコソボ空爆への抗議。これが何故書かれたのかを描写した場面では覚にも泣きそうになった。2003年、ユーゴスラビアの国名は地図上から消失した。しかし歴史上でセルビアへの「悪者」のレッテルは残されてしまうのかもしれない。2018/01/13
黒猫
9
ドラガン・ストイコビッチ。サッカーファンなら知らない人はいないでしょう。90年のイタリアワールドカップで見せたスーパープレーの数々。ピクシー(妖精)とよばれ、日本でも愛された。彼の華麗なプレーとは裏腹に過酷な人生を歩いてきたことがよくわかる。サッカー選手として一番輝く20代を彼は失った。サッカー界の損失だ。ユーゴスラビア国際試合の停止。民族対立は悲しく、愚かで、罪のない人が犠牲になる。如何なる戦争も大義名分などない。ピクシーは、プレーでそれを示した。今は無きユーゴスラビアの選手全てに幸あれ。2016/06/26
bookshelf_yt07
7
【概要・感想】ピクシーこと、ストイコビッチを始めとする旧ユーゴスラビア、現セルビアサッカーに見出だされた著者が、民族的、地理的に複雑な問題を抱える現地に赴き、サッカーの視点から市井生活に踏み込んだ記録。バルカン半島に関して、かなり無知であり、「スポーツと政治は別」は甘いものじゃないことを痛感した。2020/09/02