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内容説明
王政復古で成立した維新政権は、当初から藩体制を廃絶しようとしていたのか。廃藩置県はスムーズに行われたのか。「県」制度を生み、日本の西洋化のスタートとなった明治の中央集権国家誕生の瞬間に迫る。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
だまし売りNo
32
明治政府は中央集権体制の確立を図った。そのためには、地方分権的な統治機構を改める必要があった。そこで藩を廃止し、県を置いた。これによって、地方の行政組織は変化した。2022/11/06
to boy
10
版籍奉還とか廃藩置県って教科書で2,3行しか書かれていなかったですが、そこに行き着くまでにこれほどの経緯、苦労があったとは知りませんでした。お殿様に忠節を尽くす封建時代から愛国心の目覚める近代国家に変わった瞬間が、この廃藩置県であったという重い意味をしりました。2014/11/14
かわかみ
5
薩長土肥がリードして明治維新が成し遂げられた時点では、将軍の権力が朝廷に吸収統合されたのみで、我が国はまだ中央集権国家ではなかった。明治4年の廃藩置県によって封建割拠から本格的な中央集権国家に移行することができたのだが、この大転換は元大名(当時は知藩事)たちに根回しを行うことなく西郷・大久保・木戸らによって果断に唐突に行われたものだという。明治2年の版籍奉還によって中央集権への過渡的な体制ができたが、薩長土の連携による漸進的改革では却って政権が瓦解すると見た首脳たちが腹を決めて一気呵成に実施したのだった。2023/01/09
Mitz
2
封建制から中央集権国家へ。わずか数年だが、この過程の中に、薩長を主軸とした明治新政府の基盤の脆弱さを見出す事ができる。王政復古の大号令から廃藩置県の流れは、徳川側の見地に立てばクーデター以外の何ものでもなく、やはり「勝てば官軍」ということなのだろうか、大きな反乱が起きなかったのが不思議でならない。…この本で一番印象に残ってるのは、主題とは全く関係のない箇所。財政難を理由にいくつかの藩が城の取り壊しを申請し、多くが政府により許可される中、熊本城のみ残されたという。不穏で強大な薩摩への備えだったのかどうか。2014/11/04
まー
1
52019/09/02