内容説明
「権利」概念に対する「義務」、「人格主義」に対する「非人格」を基盤にした思考など、近代的人間観の矛盾を根底的に問うたヴェイユの思想と核心とその現代的意義を鮮やかに示す気鋭の野心作。第5回「河上肇賞」本賞受賞作。
目次
第1章 犠牲観念の誕生(暗き時代の青春―一九三〇年代のヴェイユ;犠牲観念の深化の要因;聖書、キリストとの出会い ほか)
第2章 諸宗教における犠牲(諸宗教研究の中心にある犠牲;新しい知の影響と犠牲;「犠牲」を軸にした包括主義)
第3章 社会における犠牲(最晩年のヴェイユ;集団に対する自己犠牲への批判;犠牲と「善への愛」 ほか)
著者等紹介
鈴木順子[スズキジュンコ]
1965年生。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了。学術博士。フランス・ポワティエ大学DEA取得。明治学院大学、放送大学、カリタス女子短期大学講師。論文「シモーヌ・ヴェイユ晩年における犠牲の観念をめぐって」により第5回河上肇賞本賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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さえきかずひこ
18
著者は多面的存在として断片的に語られがちであったヴェイユの思想の根本に、犠牲という観念が通底することを見出した。常に現世の中間的集団から身を離し続け、ミクロとマクロの善なるものを根源的に考え続けたヴェイユ思想の巨人的なダイナミズムを、その膨大なテクスト分析から明らかにする一冊。東大大学院に提出された博士論文(第五回河上肇賞本賞受賞)を元に改稿された内容だが、驚異的な力作であり、緻密さと大胆さを兼ね備えたヴェイユ研究のわが国におけるメルクマールと言えるかもしれない。ヴェイユに惹かれる読者は必読。面白いです!2018/07/02
amanon
4
再読本。前回読んだのは一体何だったんだ?と自分に突っ込みたくなるくらい、理解が浅かったことに汗顔の至り。とにかく多岐にわたるヴェイユの思想を「犠牲」を鍵概念として、あたかも力業でねじ伏せるように読み込んでいくその姿勢に強く感じるものがあった。それから、例の神秘体験が今更ながらに強烈なものに映るのが我ながら不思議。あれだけのキリスト体験を経ながら、また強く聖賓に拘りながらも、あえて教会に入らなかったヴェイユは、一体神に何を託されたのだろう?という気持ちに囚われる。それと、人格主義への批判は再考の余地あり。2017/05/10
takao
2
ふむ2019/12/31
amanon
2
ヴェイユからの影響で、カトリックに惹かれ受洗した者として、ヴェイユがカトリックを始めとして全体主義に繋がるあらゆる者の外にいたと本書で幾度となく強調されているのには、正直耳に痛かった。「自分はこんなところで安穏としていいのか?」と…とはいえ、著者も巻末で述べているとおり、そのような強靱なスタンスはヴェイユのような人だからこそ貫くことができたということなのだろうけど。それはともかくとして、本書で度々言及されている全体主義の特徴が昨今の日本とかなり似ているのが気になる。現在を読み説くために有効な一冊かも。2014/08/08
endormeuse
1
弱く純粋なものへの共感と、それに寄り添う形でなされる「犠牲」の観念。全体に資することを目的とした自己犠牲を退けつつ、互酬性を超越した、ある種狂気的な献身とそこにこそ宿る聖性を賭け金としたヴェイユ思想の最良の解説書。犠牲に供される人の苦悩の叫びへの応答として、愛徳精神としての「義務」の観念を負うと説いたヴェイユの看護的な倫理は、ケアの思想を先取りするものとして、あるいはルソーの憐れみの概念との関連から考えても興味深いが、他方でナイーブに過ぎるという気もする。2020/01/19