内容説明
朴正熙大統領の娘、2012年韓国初の女性大統領最有力候補。テロによる生死の境を乗り越えて。
目次
第1章 庭の広い家の子どもたち(青瓦台、庭の広い家;国防色ズボンの思い出 ほか)
第2章 二二歳のファーストレディー(ああ、お母さん!;荒波を受けて ほか)
第3章 寂しく長い航海(再び訪れた悲劇;青瓦台を後にして ほか)
第4章 野党代表朴槿恵(さあ始まりだ;ハンナラ党を選ぶ ほか)
第5章 私の信念は世界の舞台で継続する(私の第一の外交原則;北朝鮮の核問題解決のための「食卓論」 ほか)
著者等紹介
朴槿恵[パククネ]
1952年慶尚北道大邱出生。1970年聖心女子高校卒業(ソウル)。1974年西江大学工学部電子工学科卒業、フランス留学。1974~1979年ファーストレディー代行。1982~1990年育英財団理事長。1987年台湾文化大学名誉文学博士号授与。1994年~現在韓国文人協会会員。1995~2005年正修奨学会理事長。1997年12月政界入り。1998年4月大邱市達城郡で国会議員当選。1998~2000年第15代国会議員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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がんぞ
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大統領の娘として青瓦台に住んだが自動車通学などの特権なしに育ち理系に進学。学生時代は勉強に追われて政治無関心、1965年日韓基本条約反対デモもスルー/2004年ハンナラ党の候補として立候補したときに現職国会議員が応援しないばかりか責任者はパソコンもって夜逃げ…だが「選挙の女王」/2006年議員として訪日の際「関係悪化はすべて日本に原因がある」「日本が独島を韓国の領土と認めれば問題は解決する」(対馬について聞いたらどう答えたやら)とまで言っても二ヶ月後に暗殺未遂。テロリストを賛美する教育だからしょうがないね2013/08/29
久恒啓一
0
1952年朴大統領の娘として誕生。大学では電子工学(首席卒業)を学びフランスに留学。22歳、ファーストレディ代行。45歳、政界入り。46歳、国会議員当選。52歳、ハンナラ党代表。母と父を凶弾によって失い、自身も襲われた経験を持つ。 -私には両親もなく、これ以上得るものも失うものもありません。党のために私の全てを捧げます。-勤勉な鳥が新鮮な餌を得る(母の教え) -他のいかなる国との関係より忍耐が必要なのが、日本との外交だ。、東北アジア経済共同体を作り、共に未来を開いて行かねばならないパートナーなのだから。 2014/12/03
まっちゃん
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認識なくして評価なしということで隣国の大統領となった方の人物像を知りたく読了しました。両親が相次ぎ暗殺されるという悲劇を経験し、いったんは政治の世界と決別した著者が再び政治の舞台に舞い戻るまでの過程とその後が本人の文章で描かれています。そこには個人的な葛藤を乗り越え自らの使命を自覚し民衆のために人生を捧げゆく哲人政治家の姿がありました。「私は正しく生きる生活が最も価値ある生活だと思った。人生に大切なことはお金でも名誉でも権力でもない。そんなものは一瞬で消えてしまう一握りの灰に過ぎない。」朴槿恵2013/08/17
時Toki
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朴槿恵さんは、相当孤独に耐えられる素晴らしい女性ですね。 この本は、単なる朴槿恵の人生を主観的に書くのだけでなく、韓国近代の政治思想も分かるようになる良い一冊です。 しかし、このような憎みや悔やみで生きて来た、国家民族主義を自分の信念とし彼女は、東アジアの国際関係にはどのような影響があるのか、興味深いです。本に書いてる「未来への約束」ということも、意味深いですね。2013/03/25