内容説明
日本において「国語」はあって当然のようにみなされてきた。しかし、多言語社会日本を考える際には、こうした考え方を相対化し、より柔軟な多言語へのまなざしを見出していく必要がある。つまりは、「国語」からはみえないものへの視線をとりだすことが必要とされる。なにかを「とらえる」ということは、意志的なものであり、みたくないものはみない、みたいものだけをみる、ということだ。本書は、歴史的に「みえない」ものとされた、そして現在も日本社会で「みえない」ものとされていることばたちを念頭におき、「みる」側の構図をえがきだす。
目次
序章 「国語」からみえるもの/みえないもの
第1章 ことばをどのようにみようとしてきたのか―近代日本における「言語学」の誕生
第2章 「言文一致」がみえなくすること―作文・日記・自伝
第3章 虐殺とことば―関東大震災時朝鮮人虐殺と「一五円五〇銭」をめぐって
第4章 となりの朝鮮文字
第5章 朝鮮人の言語使用はどうみえたか―村上広之の議論を中心に
第6章 「ひとつのことば」への道からみえるもの―斎藤秀一編『文字と言語』をめぐって
第7章 「ことのはのくすし」は何をみていたのか―陸軍軍医監・下瀬謙太郎をめぐって
第8章 漢字廃止論の背景にみえるもの―敗戦直後の労働争議とからめて
第9章 スターリン言語学からみえるもの―民主主義科学者協議会編『言語問題と民族問題』をめぐって
終章 「やさしい日本語」がみおとしているもの
著者等紹介
安田敏朗[ヤスダトシアキ]
1968年神奈川県生まれ。1991年東京大学文学部国語学科卒業。1996年東京大学大学院総合文化研究科博士課程学位取得修了。博士(学術)。一橋大学大学院言語社会研究科教員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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