アフリカに大学をつくったサムライたち―ジョモ・ケニヤッタ農工大学物語

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  • サイズ B6判/ページ数 279p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784875390855
  • NDC分類 377.245
  • Cコード C0030

目次

1 アフリカ外交の転換期
2 外交援助プロジェクト事始め
3 ナイロビへの旅立ち
4 日本方式の大学づくり協力
5 異文化ショック
6 試行錯誤の大学づくり
7 専門家/留学生点描
8 ケニアのキーパーソン
9 善意の「ババロア奨学会」
10 日本のODAの系譜

著者等紹介

荒木光弥[アラキミツヤ]
国際開発ジャーナル社代表取締役・主幹。1936年生まれ。同志社大学文学部社会学科(新聞専攻)卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

フェイ

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アフリカ大陸のケニアで日本が援助した農工大学について語る本。アフリカ内でのケニアの影響力に期待した外交戦略で大統領の名前をとって設立された本大学は、当時は支援にあまりなじみがなかった日本の大学関係者達の献身により一大大学になったというもの。本書の内容は良いが、構成が下手というか、話題があっちに飛んでこっちに飛んでという形のため、すんなり入ってこなかった。時系列でまとめるなり複数の証言者の内容を一本化して一連の流れで読ませる等の工夫が必要と思う。2017/05/20

しぇるぱ

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東アフリカ、ケニヤで、ジョモ・ケニヤッタ農工大学を軌道に乗せるまでのお話しです。当時のケニヤの大統領がジョモ・ケニヤッタ、大統領の名前を冠にした大学を作る意図です。京都大学工学部と岡山大学農学部が主幹となり、後に鳥取大学工学部が加わっていく。最初は、日本の高等専門学校程度のレベルから始まりました。教員がいない、日本の大学からの派遣だけでは足りず、JICAの青年協力隊のスタッフも教員となった。高専程度のレベルから、カレッジまで成長し、農工大学のレベルにまで成長した。日本に留学して、学士・博士の資格を得て2014/04/15

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