内容説明
すべての苦しみ・悩みは“自己・私”が“ある”と思い込んでいることに起因すると説く唯識思想は、人の“こころ”の深層に潜む“末那識”と“阿頼耶識”を解明した。自己の意識を少し変え、それを日常生活で実践することにより、新しい世界が見えてくる。
目次
第1章 いったい「なに」か(「自分」を追求する;「心」を観察する;「もの」の存在を問う)
第2章 「いかに」生きるか(他者との関係の中に生きる;現代の諸問題に立ち向かう)
著者等紹介
横山紘一[ヨコヤマコウイツ]
1940年福岡市博多生まれ。1964年東京大学農学部水産学科卒業。1967年東京大学文学部印度哲学科卒業。1974年東京大学大学院印度哲学博士課程修了。現在、立教大学名誉教授、正眼短期大学副学長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ももたろう
25
久しぶりの唯識。横山紘一氏は岡野守也氏と並んで、唯識の基礎の基礎を学ばせていただくにはちょうどいい。印象的だったのは「縁」の話。因縁の中の一つの「増上縁」に、『有力の増上縁』(太陽や親や友人など積極的に力になって助けてくれる縁)と『無力の増上縁』(壁や天井など、積極的に助けてくれるわけではないけどそれがあるおかげで生きられるもの)があるということ。壁や天井はあって当たり前だけど、ないと生活できない。そんな事を考えていると、全てがいのちの支えになってくれている。『縁起の故に無我なり』かあ。これ大事。2016/11/28
まいこ
17
縁起説が量子論に似ているとはよく言われるけれど、自分の心の外に独立した時間も空間もないというのは相対性理論のようでもある。 自分にとっての「今」「ここ」がそれぞれあるだけで、共通の絶対的な時空はない。 自分の外に独立した神をおくキリスト教がニュートン力学なら、仏教は相対論と量子論なのかも。 「一人一宇宙」はでも、SFなんかで出てくる、身体から切り離されて脳だけになって生きている状態とどう違うんだろうか?2021/09/19
randa
3
唯識思想を実践で活かす方法が散りばめられている。現代科学と仏教で比較する存在の考察は興味深い2018/03/02
ushikubou
2
唯識は仏教思想の一つであるが、西洋の現代思想と多くの共通点があることに気づく。それだけ本質的な話ということだろう。私たちの世界は言葉に支配されており、本来はない「自分」というものに執着するところから苦しみが生まれる。人間関係の悩みも企業間、国家間の争いもすべてこの問題に帰着する。すべては関係性の中から生まれており、他者と自分を明確に切り分けることはできない。日常生活の中では、なかなかそのことに気づけないし忘れてしまうが、この考えを浸透させることができれば本当に世の中は変わるかもしれない。2017/11/12
sasayan99
1
読んだ。でもそれは読めたのだろうか?現代的な物質生活を送っている凡夫としては思考の変化球の応酬。 著者の投げたボールを追いかけるので精一杯。でもときどき確かにキャッチしたぞ!という感覚も有る。 その時はなぜか頭がボーッとする。我が阿頼耶識がなにかを掴もうとしているのだろうか? 積読に著者の作品がもう一冊あるけど少し休憩をとってから読もう。2022/03/20