内容説明
21世紀、この先にどんな音楽との出会いが待ち受けているのか?近代西洋音楽史を専門とする著者が、「音楽史の亀裂」と感じた、ここ数十年の音楽現象に挑む書き下ろし。規格外の音楽とつきあう楽しさを自在に語る。著者おすすめの音楽もジャンルを超えて紹介!
目次
第1章 音楽は所有できるのか?―「My Song」について
第2章 音楽を神とする共同体
第3章 日本酒にモーツァルトを聴かせる
第4章 音楽と電気と幽霊と
第5章 ネット空間を流れる音楽―音楽とタブー
第6章 癒し音楽に癒されてたまるか!
第7章 AIはモーツァルトになれるのか?
第8章 歩け、そして規格外を探せ!
著者等紹介
岡田暁生[オカダアケオ]
1960年京都生まれ。音楽学者。京都大学人文科学研究所教授。専門は19世紀から20世紀初頭の西洋音楽史。おもな著書に『音楽の聴き方』(吉田秀和賞受賞、新書大賞2010第三位)、『オペラの運命』(サントリー学芸賞受賞)(以上、中公新書)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
しゅん
16
反動的な(芸術のアウラや崇高さを信じる)モダニストの立場に立って、ネットの音楽環境、ニューエイジ系癒し志向、AIの人間化ならぬ人間のAI化を批判する。あえて反動的になることで論点を明確にしている。「音楽」の正体がよくわからない人に読んでほしい本。二、三時間で読めます。テオドール・クルレンツィスと三輪眞弘の作品が気になりまくる。あと、読者との距離を繊細に取っていていることにも学びがあった。歳を重ねた人間が新しい現象と向き合うときの方法の提示としても参考になる。2019/04/10
1959のコールマン
15
☆5。今月のお勧め本。表紙、装丁、帯が真面目なのに中身の「文章が」ところどころおちゃらけています。あははは。著者紹介の文章からして今までの岡田センセとは思えません。本文も面白く、かつあっという間に読めます。ですが、本書のメッセージは端的に言うと「何か人生を変えるような音楽を見つけたいのならば越境しよう!歩け!システムの外へ出て、そして規格外を探せ!」(p193本文より)というアグレッシヴなもの。所々、読者にたいして(わざと)挑発的に振る舞っています。そうだよね。音楽って本来はヤバいもんだったよね。2019/04/24
shikashika555
9
人は文法を知って初めて 音の連なりを音楽として楽しむことができる_____との惹句に惹かれイベント参加した時に購入。 以下抜粋。 「音楽」は物理的存在ではない。耳が知覚した音の羅列を 人間は精神の中で意味関連として分節的に組み立て認識する。 言葉も音楽も 意識の中にしか存在していない。文法規則をインプットされている人間の意識の中で初めて それは言葉ないし音楽として立ち現れてくる。 経験から 乳幼児が触れる音楽については全く違うように思えるが、洗練度の高い音楽については そうなのかと思う。2019/07/21
タイコウチ
9
かつて「音楽の聴き方」では、音楽を本当に好きかどうかは、それを聴いている途中でやめられるかどうかだということが書かれていたのが印象的だったが、本書はここ30年ほどで大きく変容した音楽の聴かれ方について、癒し・AIなどの切り口でカジュアルな語り口で考察している。あえて反時代的に書いたと述べているが、世代的に近い私には逆にその論調にあまり違和感がなく、それゆえに若い世代に伝わるのかどうか心配になる(笑)。音楽を作る人・演奏する人の気配(場を含む)を感じとれるかというのが、著者にとっての重要な基準であるようだ。2019/05/31
kumoi
3
現代社会において、音楽の価値はとても低い。ベートーヴェンがいた時代、音楽とはコンサートホールで傾聴すべきものであった。しかし、今は、音楽というとヒーリングミュージックやBGMとしての役割が大きいように感じる。言ってしまえば、現代人は音楽を聴いているのではなく、気分を上げるために耳に入れているだけなのだ。別に、紋切り型の過去へ帰れという主張をしたいわけではない。AIと人間の違いが、身体性の有無であるにもかかわらず、現代人が自らの身体性にあまりにも無頓着なのが悲しいのである。2022/02/13