内容説明
精神分析における恥の議論とは、多くの関心の流れが交錯して次々と網目を作るところであり、恥の文化(辱めの文化)と言われる日本においてもともと盛んだった。ただし、その発生論は、恥に対して過剰反応する日本文化の外に出た方が民俗の神経症として見えやすい。本書では、米国の臨床体験を引用しながら、日本と米国が出会う場所として、恥の議論を展開している。
目次
第1部 恥と自己愛のイントロダクション(恥と対人恐怖の病理;精神分析から見た対人恐怖 ほか)
第2部 恥と自己愛をめぐる5つの精神分析的考察(恥と「過敏型」自己愛の病理;「過敏型」自己愛人格障害における罪悪感とエディプス葛藤 ほか)
第3部 恥と自己愛についての各論(臨床家の自己愛;恥と生理学 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
coaf
6
筆者の気持ちや体験談が載ってて面白かった。2013/02/03
hanan
1
久々に力動。分析家ってフロイト大師匠も分析しちゃうんだナ。フロイトにとって恥ずかしいつか、かわいそう。(≧∇≦)差別論は岡野先生のカタルシスっぽい。「臨床家の論文」の記述は、なるほどと思う。2016/01/01
うえだしゆう
0
☆☆☆☆☆2017/09/06
枕流だった人
0
千葉市立図書館
みどりまん
0
他人の目が気になるから食事はできる限り家族の前か、もしくは1人がいい。外を歩くのも恥ずかしい。これは社会不安障害の中の視線恐怖なのではと思い、解決策が欲しくて読んだ。恥ずかしいという気持ちは自己をより愛するためにとった行動が想像通りにならず、本来満たされるはずの自己愛のエネルギーを手放してしまったことと言える。それはカッコイイと思われたいが故に髪を切り、想像と違って恥ずかしいと感じることとよく似ている。しかし重要なのは、他人には「他人の失敗」が見えないことである。自己愛があまりに人間を複雑にしている。2020/01/21