落語―哲学

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落語―哲学

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  • サイズ B6判/ページ数 270p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784750515502
  • NDC分類 779.13
  • Cコード C0010

出版社内容情報

笑える哲学書にして目眩へと誘う落語論、ここに誕生!

「粗忽長屋」は〈私とは何か〉という謎をめぐる物語であり、「堀の内」は〈笑いの本質〉についての深遠な哲学書。

そして「芝浜」には〈わたしたちの世界は夢ではないのか〉というテーマが秘められていた。



水道橋博士推薦!

定説「落語とは業の肯定である」ことを否定する――。

「哲学」の窓から「落語」を覗き、「落語」から「哲学」を想起する。

哲学者と落語家が、その職業的な「業」に於いて通底する噺の書。――水道橋博士

 「二つの世界」と落語:はじめに

1 「業の肯定」から「業の否定」へ:不条理からの解放

  ――「柳田格之進」

2 笑いの破壊力:非合理という故郷

  ――「堀の内」

3 この世は夢ではないのか(1):多世界解釈と可能世界

  ――「芝浜」

4 この世は夢ではないのか(2):眠りと海と酒

  ――「鼠穴」「芝浜」

5 「私」とはなにか(1:)私と世界

  ――「粗忽長屋」

6 「私」とはなにか(2):二人の私

  ――「粗忽長屋」

7 「私」とはなにか(3):イヌであるとはどのようなことか

  ――「元犬」

8 「顔」について:善悪の彼方へ 

  ――「一眼国」

9 恋愛とみかん(1):固有名詞に恋をする 

  ――「崇徳院」

10 恋愛とみかん(2):結晶作用 

  ――「崇徳院」

11 恋愛とみかん(3):恋の三角形 

  ――「お直し」

12 恋愛とみかん(4):果物超越譚 

  ――「千両みかん」

13 死について(1):輪廻する魂 

  ――「もう半分」

14 死について(2):一人称の死 

  ――「死神」

15 死について(3):幽霊のいる場所 

  ――「三年目」

16 死について(4):パラドックスとブラックホール 

  ――「あたま山」

 付録 本編で取り上げられなかった「哲学噺」と、傑作落語本

 あとがき

中村 昇[ナカムラ ノボル]
著・文・その他

内容説明

ウィトゲンシュタインさんと落語を探検!「粗忽長屋」は“私とは何か”という謎をめぐる物語であり、「堀の内」は“笑いの本質”についての深淵な哲学書。そして「芝浜」には、“わたしたちの世界は夢ではないのか”というテーマが隠されていた…

目次

「業の肯定」から「業の否定」へ 不条理からの解放―「柳田格之進」
笑いの破壊力 非合理という故郷―「堀の内」
この世は夢ではないのか(1)多世界解釈と可能世界―「芝浜」
この世は夢ではないのか(2)眠りと海と酒―「鼠穴」「芝浜」
「私」とはなにか(1)私と世界―「粗忽長屋」
「私」とはなにか(2)二人の私―「粗忽長屋」
「私」とはなにか(3)イヌであるとはどのようなことか―「元犬」
「顔」について 善悪の彼方へ―「一眼国」
恋愛とみかん(1)固有名詞に恋をする―「崇徳院」
恋愛とみかん(2)結晶作用―「崇徳院」
恋愛とみかん(3)恋の三角形―「お直し」
恋愛とみかん(4)果物超越譚―「千両みかん」
死について(1)輪廻する魂―「もう半分」
死について(2)一人称の死―「死神」
死について(3)幽霊のいる場所―「三年目」
死について(4)パラドックスとブラックホール―「あたま山」

著者等紹介

中村昇[ナカムラノボル]
1958年長崎県佐世保市生まれ。中央大学文学部教授。中学のときに小林秀雄に、19歳のときに松岡正剛にであう。師事したのは、中学・高校の恩師である詩人・徳重敏寛、暗黒舞踏の創始者・土方巽、そして哲学者・木田元である(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

けんとまん1007

43
落語も好きだし、哲学も好きだ。両方をセットで考える・・なるほどなあ~どんなふうになるんだろうと思いながら読んだ。上手く噛み合う場面もあれば、どうかなあ~という場面もある。落語の仕掛けは、独特なものがあると思った。確かに、枕の重要性はあるし、オチもそうだ。あとは、いわゆる名人芸の噺は、素晴らしいと思う。哲学を落語で聴いてみたい。2021/01/03

おせきはん

25
落語の好きな哲学者が、心の機微について語る落語を哲学と関連づけて論じています。面白い試みだと思いますが、私の場合は、ついつい落語の噺の方が気になってしまいました。2021/01/03

yyrn

22
私は死にたいと思ったことも、死ぬほど悩んだこともない哲学的思考を必要としない男だが、落語の中にしっかりと息づく哲学を16の噺を使って解きほぐしてくれる本だった。恋愛時期と結婚後の大きく異なる心持ちの意味とか、誰でも持っている三角関係とか、人間の生存に不可欠とは言い難い美味しい果物の存在意義など考えたこともなかったし、落語も巧みな話術による笑いで十分だと思っていたが、ベースに哲学的深みがあればこそ、何代にもわたって語り継がれてきたのか。人間の不思議さが落語であり、ドラマであり、小説であり、冒険なのか、な?2018/12/12

gtn

16
著者の謂いは小難しい。日常生活と落語の世界の説明に、プラトンの二世界説を持ち出す。そんな説明しなくとも、「ハレとケ」と言えば済むではないか。談志の自論「落語は業の肯定」にも、業の定義を誤っているとケチをつける著者。小賢しい表現をした談志も悪い。だから重箱の隅をつつかれるのだ。単に、落語とは「開き直り」と言い換えられないか。2020/01/16

qoop

11
私という存在・他者・死など、解らないのにスルーしている事象と向き合うのが哲学。解らない事象の解らなさと向き合って笑いを生むのが落語。親和性はありそうだが遠い印象の二者に橋をかけ、哲学的思索に基づき落語世界を観想したのが本書。それぞれの核や境界を際立たせるために、むしろ引っかかりを覚えつつ戸惑いながら読む方が良いと感じた。キャッチーなフレーズで耳目を引きつつも内容不明瞭な談志の言説、その中で最も有名な〈落語は業の肯定である〉を否定するくだりはまさしく本書の面白み。談志が落語の中のご隠居に見えてくる。2018/08/05

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