日産の創業者 鮎川義介

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  • サイズ B6判/ページ数 256p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784642083126
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C1023

出版社内容情報

大正・昭和の技術者、実業家。自動車産業などを開拓し、戦後は社会企業家として活動した。「革新」企業家の波瀾の生涯を辿る。大正・昭和時代、斬新な構想力と革新的な事業活動で勇名を馳せた技術者、実業家。社会公益に役立つ未開拓分野の先駆者を目指し、機械工業の基礎素材である可鍛鋳鉄の事業や自動車産業を開拓。戦後は中小企業の助成活動や政治家として精力的に活動した。日産コンツェルンや満業経営にも説き及び、革新(イノベーション)企業家の波瀾の生涯を辿る。



はじめに/生い立ちと金持にならない誓い(長州士族の家に誕生/華麗な門閥/大恩人・井上馨/東京帝国大学時代)/産業開拓活動(職工からの出発/戸畑鋳物と可鍛鋳鉄事業/日産自動車の事業活動)/日産コンツェルンの形成(共立企業の設立と経験/親族の事業経営に参画/久原財閥から日産コンツェルンへ/日産コンツェルンの戦略と金融/日産コンツェルンの構造と組織)/満業コンツェルンの経営(日本産業の満州移転/日産側の事情と鮎川の「夢」/満業経営の実態/民間外交の展開/満業の改組と日産コンツェルンの奪回策)/社会企業家としての活動(義済会の設立と活動/日産コンツェルンの解体と鮎川義介の財閥指定/外資導入工作と電源開発・道路整備問題/中小企業助成活動)/終章 鮎川義介の企業家活動の特質/略年譜

宇田川 勝[ウダガワ マサル]
1944年、千葉県に生まれる。1968年、法政大学経営学部卒業。1975年、法政大学大学院経済学専攻博士課程単位取得退学。現在、法政大学名誉教授、経済学博士 ※2017年2月現在【主要編著書】『新興財閥』(日本経済新聞社、1984年) 『日本を牽引したコンツェルン』(芙蓉書房出版、2010年) 『日産コンツェルン経営史研究』(文眞堂、2015年)

内容説明

大正・昭和の技術者、実業家。社会公益に役立つ未開拓分野の先駆者を目指し、自動車産業などを開拓。戦後は社会企業家として活動した。日産コンツェルンや満業経営にも説き及び、「革新」企業家の波瀾の生涯を辿る。

目次

第1章 生い立ちと金持にならない誓い
第2章 産業開拓活動
第3章 日産コンツェルンの形成
第4章 満業コンツェルンの経営
第5章 社会企業家としての活動
終章 鮎川義介の企業家活動の特質

著者等紹介

宇田川勝[ウダガワマサル]
1944年千葉県に生まれる。1975年法政大学大学院社会科学研究科経済学専攻博士課程単位取得退学。法政大学経営学部教授を経て、法政大学名誉教授、経済学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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YUJIRO

2
最近色々と世間を賑わしている日産の創業者の伝記。ゴーンさんはカリスマ経営者として有名だが、鮎川も非常に先進的な経営を行っていた。「人生の長さは時間だけでなく、歩んできた道のりの変化によって決まる」や「金持ちにならず、人の役に立つ困難なことを行う」などその思想や生き方に学ぶことはとても大きいと思った。(「」の中は正確な引用でなく個人的な要約です)2018/12/04

山根清志

1
著者は何らかの意図があるのだろうが、カギカッコつきの満州国とカギカッコなしの満州国との使い分けがわからない。2021/05/20

kaz

1
記述されていること全てを額面どおり受け取って良いかどうかという問題はあるが、鮎川義介と久原房之助、あるいは久原財閥、日本産業ないしは日産コンツェルン、日立グループ、満州重工業等の関係の概略が理解できた。今は藤田組と言ってもピンと来ないが、明治期はこれもかなり影響力のある一族だったのだろう。 2017/04/09

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