出版社内容情報
縄文の伝統をひく土偶など儀礼品や、打製石器に着目し、文明に抗う人びとを描く。大陸文明の受容だけではない弥生の実像に迫る。
内容説明
水田農耕や金属器などの新文化を、列島の在来社会はどう受け止めたのか。縄文の伝統をひく土偶や石棒など儀礼品や、打製石器に着目し、文明に抗う人びとを描く。大陸文明の受容だけでは説明できない弥生の実像に迫る。
目次
弥生文化を疑う―プロローグ
弥生文化像をもとめて(弥生文化の発見;二つの弥生文化像;農耕社会像の定着)
水田登場前史―限りある豊かさの縄文時代(縄文時代とは?;縄文時代の儀礼とその背景;土偶と石棒)
水田をいとなむ社会のはじまり―弥生時代早・前期(農耕社会の登場;水田稲作とともにもたらされた道具と技術;狩猟採集の技の継続と発展;水田稲作を開始した社会の人間関係;財産と生命を守る施設)
東から西へ―土偶と石棒にみる弥生時代儀礼の系譜(水田稲作開始期の土偶の起源;弥生時代の石棒)
多様な金属器社会―弥生時代中期(金属器社会と権力;青銅製武器の祭器化をめぐって;銅鐸と社会;石器をつかい続けた社会)
文明と野生の対峙としての弥生時代―エピローグ
著者等紹介
寺前直人[テラマエナオト]
1973年、奈良県広陵町に生まれる。2001年、大阪大学大学院文学研究科博士課程後期修了。現在、駒澤大学文学部准教授、博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
AICHAN
42
図書館本。弥生人は稲作農業を携えて日本列島にやってきた。農業は人類史上初めての大規模自然破壊を伴う。そうやって弥生人は文明の礎を築いたわけで、「文明に抗した」というのは変ではないかと手に取った。冒頭は何が言いたいのかよくわからず、放ろうとした。しかし、何が言いたいのか気になって結局最後まで読んだ。途中から言いたいことが少しわかってきた。縄文時代晩期に大陸や朝鮮半島から稲作・金属器とともに弥生人がやってきたが、列島の在来住民は必ずしもその文明を受け入れなかったということらしい。2019/07/17
やいっち
33
本書が示すのは、「弥生時代研究は百花繚乱のさまを呈している」とか、「弥生時代のはじまりについての議論の範囲を紀元前10世紀にまでさかのぼ」っていること、「弥生時代の最初の数百年間は、金属器のない時代、すなわち世界的な時代区分でいうと新石器時代に属する可能性がきわめて高くなった」ことなどである。 さらに「従来の「日本で食糧生産を基礎とする生活が開始された時代」という弥生時代の定義に対して、さまざまな異論がもたれはじめている」というのだ。2018/02/06
月をみるもの
16
あたりまえのことだが、風習や文化の変化は漸進的なものであり、ある時点・ある瞬間にそれまでのものが突然入れ替わってしまったりはしない。縄文時代の代表的なアイテムと思われている土偶や石棒が弥生時代にどう引き継がれたのか。金属が普及したあとも、なぜ石器は重要な役割を果たし続けたのか。こうした問いに向き合うことが、銅鐸・銅剣文化圏の謎をとく鍵となる。2022/07/19
Y田
13
歴史の大きな流れとしては弥生時代に入り、稲作、金属器の使用、階層のある社会へ移っていったという事になるが、これらの変化は決してキレイにスパッと起こった訳ではない。北九州地域に伝わった大陸由来の社会、東日本中心の縄文からの伝統的文化などが様々に絡み合って変化していったのがよく分かった。◆鉄器がある程度普及した筈の地域でも非実用的な石器が多く出土するというのがとても興味深い。筆者は「共同体の均質さを重んじる志向性」が働いたものとする。時代が変化する時の人々の動きに想いを馳せている。2022/02/11
さとうしん
10
縄文文化と弥生文化について、従来のような在地系の文化と渡来系の文化の対立という構図には敢えて落とし込まず、金属器の導入などで、実用的な武器と階層社会の導入を拒絶し、非実用的な銅鐸を偏愛して平等社会を保とうとしたりと、人々が消極的な形で新しい文化の受け入れを進めていったという方向で議論を展開する。また、考古学の研究がどのような手順で進められるのかということや、考古学の議論も時代の影響を受けているということに触れている点も評価できる。2017/09/02