出版社内容情報
死の床で神父の脳裏に去来する青春の日々、文学の師との出会い、動乱の祖国チリ、軍政下の記憶……後期を代表する戦慄の中篇小説
内容説明
死の床で神父の脳裏に去来する青春の日々、文学の師との出会い、動乱の祖国チリ、軍政下の記憶…饒舌に隠された沈黙の謎、後期を代表する中篇小説。
著者等紹介
ボラーニョ,ロベルト[ボラーニョ,ロベルト] [Bola〓o,Roberto]
1953年、チリのサンティアゴに生まれる。1968年、一家でメキシコに移住。1973年、チリに一時帰国し、ピノチェトによる軍事クーデターに遭遇したとされる。翌74年、メキシコへ戻る。その後、エルサルバドル、フランス、スペインなどを放浪。77年以降、およそ四半世紀にわたってスペインに居を定める。1984年に小説家としてデビュー。1997年に刊行された第一短篇集『通話』でサンティアゴ市文学賞を受賞。その後、精力的に作品を発表するが、2003年、50歳の若さで死去。2004年、遺作『2666』が刊行され、バルセロナ市賞、サランボー賞などを受賞
野谷文昭[ノヤフミアキ]
1948年生まれ。東京外国語大学外国語学研究科ロマンス系言語学専攻修士課程修了。名古屋外国語大学教授、東京大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
どんぐり
84
ボラーニョ・コレクションの1冊。最初から最後まで改行無しの文章が続く。改行がない本は、サラマーゴ以来だ。物語は、死の床にあるチリ人の神父セバスティアン・ウルティア=ラクロワによる回想。神父でありながら、カトリック大学で働き、詩と文芸評論を書き文学に造詣が深い。せん妄状態にあるかのように、意識がプツプツと切れて話は進んでゆく。鳩の糞で老朽化した教会を救うために鷹匠になった神父の話などは、まさにボラーニョの語りで、次から次と繰り出されるエピソードに読者は煙に巻かれる。→2023/11/13
Willie the Wildcat
57
回想。政情や世情への姿勢を踏まえて、文字、文学の力を問う。沈黙への責任、その責任の取り方の1つの提言。戦争はもちろん、その延長線上の英雄の記念碑の行く末が示唆する意味を考えてみる。鷹vs.鳩も象徴。姿を消す件も意味深。司祭服の意味を問う場面も印象的。「老いた若者」とは物理的な肉体ではなく、精神性と思考。ここでももちろん沈黙が根底。改行の無い文体が、”深み”に引きずり込む感。ページ数以上の読み応えアリ。2018/02/10
三柴ゆよし
26
死の床にある神父がみずからの人生を述懐する形式は、フエンテス『アルテミオ・クラスの死』などを髣髴させるが、彼ウルティアの語りは、夢と現実の境目を踏みこえるような危うさを孕んでいる。饒舌と沈黙は同義に等しく、人はなにかを語ることで、語り得ぬものを言葉の背後へと埋葬する。ウルティアの語りもそれであり、宗教と文学、そして政治という〈権力〉の場に身を置いた彼の一生からは、墓所から突き出した手のように、できることなら目を背けたい、不穏な一部分が垣間見えてしまう。ボラーニョのなかでも、とりわけ怖い一冊だとおもった。2017/09/27
おおた
25
それぞれのエピソードは重たいけど、物語としてはふわふわ。ボラーニョはいつもそんな感じで、なんでかなーと思ってたら解説に書かれていました。各エピソードはガルシア=マルケスのように物語として密接しておらず、離ればなれというかぼんやりとつながっている感じなので、「オチ」がないように見えてしまう。それがボラーニョの特徴であり詩的なところであるのかもしれないけど、読んでいてどこか置いてきぼりにされる感じが否めない。後半のマルクス主義講座や地下室の拷問などが出てくると身を乗り出すけど、そこで本は終わっている……。2017/10/08
ぞしま
20
死の床にある神父の一人語りという体裁が最後まで貫かれていて、その設定の為なのだろうか、(愛すべき)雑多にどこまでも奔放に広がって行くような世界はどこか窮屈に……(愛すべき)ギリギリな支離滅裂さはどこか明るくないように感じられた。それでも鷹狩の所とかは訳分からなくワクワクしてしまう、ネルーダやアジェンデやピノチェトを斉しくまなざす、どこにも属していないような強靭な在り方もボラーニョらしい。終盤はカルロス・ラミレス・ホフマンを想起させるだけにこれもボラーニョの一つの文学的挑戦だったのかなという気も起きた。2017/12/16