出版社内容情報
親子はなぜすれ違ってしまったのか…。
知の巨人・大拙の息子にして「東京ブギウギ」の作詞者、鈴木アラン勝。
その知られざる波瀾の人生を丹念に取材し、父としての大拙を初めて描き出す傑作ノンフィクション。
「ここには成人したアランの、大拙の仕事に対するみかたが明確にあらわれている。父がやっているような日本の精神文化や伝統的なことは、彼にとっては「骨董品的存在」なのだ。それはそれとしてこれからも存在するだろうが、現代社会が求めるものとは異なる。自分は父とは違う道を行く――これがアランの意思だったと思う。」(本書より)
【著者紹介】
1963年生。現在、国際日本文化研究センター教授、総合研究大学院大学教授。京都大学博士(工学)。専門は情報学、文化交流史。筑波大学大学院修士課程医科学研究科修了後、(株)日本アイ・ビー・エム、筑波技術短期大学助手などを経て現職。主な著作に、『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』(人文書院)、『〈海賊版〉の思想 18世紀英国の永久コピーライト闘争』( みすず書房)、『禅という名の日本丸』( 弘文堂)、『情報のみかた』(弘文堂)、『日本文化の模倣と創造 オリジナリティとは何か』(角川書店)など。
内容説明
親子はなぜすれ違ってしまったのか…。知の巨人・大拙の息子にして「東京ブギウギ」の作詞者、鈴木アラン勝。その知られざる波瀾の人生を丹念に取材し、父としての大拙を初めて描き出す傑作ノンフィクション。
目次
第1章 出生の秘密(もらわれてきた子;大拙の両親;参禅時代 ほか)
第2章 不良少年(格子なき牢獄;大拙の不安;大拙の教育観 ほか)
第3章 秀才の片りん(日米学生会議;アラン、禅を語る;城山三郎の誤解 ほか)
第4章 東京ブギウギ(上海;池真理子との再会;「東京ブギウギ」誕生 ほか)
第5章 大拙とビート世代(アメリカの「きょうだい」たち;超絶主義の下地;初期の伝道 ほか)
第6章 不宵の息子(その間のアラン;大拙の帰国;事件 ほか)
著者等紹介
山田奨治[ヤマダショウジ]
1963年生。現在、国際日本文化研究センター教授、総合研究大学院大学教授。京都大学博士(工学)。専門は情報学、文化交流史。筑波大学大学院修士課程医科学研究科修了後、(株)日本アイ・ビー・エム、筑波技術短期大学助手などを経て現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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