凛として、ひとり―弱かった自分が強くなれた瞬間

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  • サイズ B6判/ページ数 238p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784408108988
  • NDC分類 778.21
  • Cコード C0095

内容説明

萬屋錦之介との結婚、離婚、中村プロの倒産、子どもの死―数多くの苦難に遭遇しても、私は負けない。波瀾万丈の人生から得たものとは?―。

目次

第1景 父と母(仏さまのご飯;父のお雑煮 ほか)
第2景 レビュー(初めての衝撃;宝塚に入りたかった ほか)
第3景 シネマ(『野良犬』;芸名 ほか)
第4景 結婚(恋愛は臆病で;出会いと別れ ほか)
第5景 奈落(重症筋無力症;二度死にかかった錦ちゃん ほか)
第6景 旅立ち(事故で突然に;さようなら錦ちゃん ほか)

著者等紹介

淡路恵子[アワジケイコ]
1933年(昭和8年)7月17日、東京生まれで、女優。本名は井田綾子。東京府立第八女子高等学を中退して、1948年に松竹歌劇団(SKD)の養成学校の松竹音楽舞踊学校に入学した。入学後、黒澤明監督に抜擢され、本名で新東宝映画の『野良犬』にデビュー。その後、芸名を淡路恵子とした。松竹歌劇団入団後に草笛光子さんたちと組んで「スリーパールズ」を結成し歌に踊りに大活躍。1953年からは松竹映画に出演、1960年代から東宝の「社長シリーズ」でレギュラー出演を果たした(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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gtn

22
「私は、耐えて、耐えて、耐えられたけど、錦之介さんは耐えられなかった」と元夫を弱虫となじる著者。夫、息子と弱い男性に囲まれる中、著者は強かった。いや強いように振舞わざるを得なかった。結果「頼りになるのは自分だけ、絶対に」と悟る。しかし、生まれ変わっても「淡路恵子は二度とイヤ」とも。男に苦しめられた慨嘆が聞こえる。2020/02/28

ごへいもち

17
「弱かった自分が強くなれた瞬間」などのタイトルはちょっと意味不明。子供を2人も若死にさせた辛い人生だったんだろうなぁと思うけどその部分は本人のキャラなのか意外とあっさり。何より座長の妻がこんなに大変とは。公演のチケットを買ってもらうためのあれこれがすごい。日頃からお付き合いを欠かさず切符は選び抜いた手土産と一緒に届け、公演に来られたお客の食事の手配やハネた後の挨拶…ここまでしないと切符を買ってもらえない公演って何? 2012/04/05

RINA@愉しみたい冬そして年末年始

4
淡路恵子先生のインタビュー方式による自伝。幼少時から現在に至るまでのインタビュー自伝。「強か」という言葉はあまり良い意味では使われないけれど、敢えて、良い意味での「強か」という言葉がぴったり合うんじゃないかと思う。ただ、良書ではあれど、淡路先生の波乱万丈の人生を想うと内容的に踏み込み不足の感が。「あれ、もうちょっと突っ込んだ話を聴きたかったなぁ」という残念感がある。2013/03/23

みほ

1
この人ほど、人生の辛苦を味わった人はいないんじゃないか、と思うくらい本当に苦労人だと思う…。なぜ、生前、TVであんなに笑って出れていたのか、羨ましかった。恵子さんはとても人間くさいし、本当にかわいい人。自分が神にも仏にもなれないのを知っていたんだ…。私は恵子さんほど強くなれないけれど、どうか少しでも分けて欲しい。2014/04/10

KAZE2013

0
淡路 恵子1933/7/17日 - 2014/1/11 1948女学校退学、SKD養成学校入学 49黒澤明『野良犬』踊り子役(印象に残るデビュー) 53ビンボー・ダナオと事実婚、男子二児出産、11年後別れ、 66中村錦之助と再婚、男子二児出産 82中村プロ倒産、家の差し押さえ、錦之助重症筋無力症に倒れ闘病、錦之助の浮気、87離婚, 90三男事故死、97錦之助死去、2010四男自死 P132「私って本当はどういう人が好きだったんだろう。今でもわからないのよね。」「いつもなんだか『可哀そう』と思うんです」2014/02/11

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