内容説明
邪馬台国があったのは北九州か、それとも畿内か。女王卑弥呼とは誰か。従来の論争点を詳述し、独創的推理によって大胆な仮説を提示した清張古代史の記念すべき第一著作。牧健二、上田正昭、佐原眞、井上光貞といった当時随一の歴史家・考古学者と本書をめぐって討議した、貴重なシンポジウムを初収録。
目次
三世紀の日本
大和か九州か(簡単な学説史)
私はこう考える
魏志の中の五行説
卑弥呼とはだれか
卑弥呼論
稲の戦い
「一大率」「女王国以北」
結語
魏志倭人伝(紹興本原文)
著者等紹介
松本清張[マツモトセイチョウ]
1909年、福岡県小倉(現北九州市)に生まれる。51年、『週刊朝日』主催の“百万人の小説”で「西郷札」が三等に入選。53年「或る『小倉日記』伝」で第28回芥川賞を受賞。56年に作家専業となる。70年『昭和史発掘』で第18回菊池寛賞、90年朝日賞受賞。92年永眠(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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AICHAN
35
図書館本。アマチュアであっても清張さんの古代史観は専門家にさえ認められている。その清張さんが古代史、特に邪馬台国の謎について書いたもの。巻末には専門家たちとの意見交換も。清張さんは邪馬台国は北九州にあったと結論づけ、南九州の狗奴国と争い、そこに朝鮮半島から騎馬民族の後裔たちが渡来して邪馬台国を征服し、そこから東遷して近畿に至ったと考える。その見方に私も賛成する。卑弥呼や台与が地名だという指摘には唸った。2019/06/21
ランラン
7
日本の誕生がこれほどまでに謎につつまれている国は他にはありません。多くの学説、文献があるなかで著者の内容が信頼性が高い中の一人です。歴史家はミクロの視点で考える弊害があり、むしろ歴史を専門にしていない小説家の方が慧眼だったりすることがあります。魏志倭人伝の中の「一大率」の解釈は卓見です。著者は邪馬台国九州説です。魏は呉と対立していなかったら北九州は朝鮮半島の帯方郡のように植民地化していたかもしれないという解釈にはしびれました。2019/01/02
ふたば@気合いは、心を込めて準備中
5
自分には、この内容の是非を問うほどの知識も持論もない。小説家の底力を、これでもかと見せつけられた。説得力が半端ない。特に、距離、日数に関する説には、目を見開いた。今までにない説だと思う。この説から、既に半世紀が経つ。今もっていろいろと取り沙汰される邪馬台国問題の論争に、この説をもう少し取り入れても良いのかもしれないと思う。中華思想が邪馬台国問題を複雑にしてしまったという内容は、面白かった。それにしても、そうそうたる邪馬台国研究者達がけちょんけちょんだ(笑)2018/06/02
古墳くん
0
邪馬台国論争の終わりのなさを感じられる一冊。墓碑が出でもしない限り、永遠に続きそう。森浩一先生と門脇禎二先生の対談という豪華解説がまた良し。2022/11/30
あっちゃんのパパ
0
評価=3:今から半世紀も前、自分が中学生のころ、邪馬台国論争が盛んで、私もいろいろな本を読んだ記憶がある。たまたま松本清張の陸行水行を読んで、この本にたどり着いた。邪馬台国論争は永遠に解決されないのであろう。2021/11/04