内容説明
科学を相対化し、いかに「人間化」するか。示唆に富む知的興奮。
目次
人間にとって科学とはなにか(現代科学の性格と状況;科学における認識と方法;科学と価値体系;科学とヒューマニズム;科学の未来)
増補(現代を生きること―古都に住みついて;科学の世界と非科学の世界;科学と文化)
著者等紹介
湯川秀樹[ユカワヒデキ]
1907~81。京都帝国大学卒業後、大阪大学助教授を経て京都大学教授。49年、中間子理論でノーベル物理学賞受賞。京都大学名誉教授。核兵器廃絶運動にも熱心の参加した。理論物理学専攻
梅棹忠夫[ウメサオタダオ]
1920~2010。京都帝国大学卒業。大阪市立大学助教授、京都大学教授を経て国立民族学博物館館長。生態学を基礎にしながら多方面に活動した。国立民族学博物館名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。京都大学名誉教授。比較文明学専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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まりお
41
科学は結果に辿り着くまでに無駄がある、そういう学問。最初から正解が提示されている訳ではない。選り分けが必要。大学の研究も、そこで終りではなく後輩に引き継いでもらったので、実感はある。2017/09/01
roughfractus02
7
大阪万博での科学の進歩というイメージと公害による科学批判の狭間にある70年代、文系理系を超えた教養と知識を持つ2人が「科学とは何か」、それは「人間にとって」何なのかと二重に問う。集団に生きるヒトは宗教、道徳、倫理、習慣に共通する当為(〜すべき)の範囲で現在を生きるが、科学者は過去と未来の発見のために当為を問い直してきた、と著者たちはいう。が、戦後科学は組織的職業人として科学者を位置付け、科学に対する理想と現実を乖離させて科学者自身にジレンマを生み出した。科学はこの体制を問い、人間を相対化すると両者は語る。2022/03/26
surucucu
4
湯川秀樹と梅棹忠夫それぞれの著書は読んだことがあったが対談をしていたとは知らなかった。分野が異なり年も一回りほど離れている両者だが京都育ち同士だからなのかお互い面白そうに論を進めていく。表題のテーマを軸に、人にとっての目的や価値とは何か?科学が行き渡ることで社会はどうなるのか?科学は宗教の代わりたりえるのか?などに話が及ぶ。両者とも科学というものを信頼していないというか、科学の限界や合理主義の限界を常に意識しているのが驚きだった。冒頭の佐倉統による論点の解説がわかりやすく助かった。2023/03/31
かりん
4
4:難しい…。読めるから言葉自体は平易なんだろうけれど概念がムズい。先を見る目。■科学と社会の相性の悪さ。納得の体系。精密に組み立てられた価値論なら、科学に使えるのじゃないか。科学活動というものは、ものすごくむだが多い。科学をヒューマニズムで操縦することはできない。ただし科学をヒューマニズムでチェックすることはできる。宗教こそ、なんでも説明する。科学はどこか確信的でない。科学がルーティン化しつつある。くすり。涅槃薬。高度の文化というものはインヒューマンなものを必ず持っている。持札がたくさんある。2012/05/06
ともろう
4
表題の対談は67年のことですから40年以上昔の話です。東海道新幹線は開通していますがアポロは月に着陸しておらず、原子力といえば米ソの核戦争が真っ先に心配されていた時代です。当然スマホもなければネットもなく、そもそもパソコンもありません。 そんな時代の対談なのに「これからは情報が重要」とか書いてあると「あなた方は40年後を見てきたんですか?」と聞きたくなります。恐るべき先見性。もう一つ湯川先生がしきりに気にしていたのが「くすりが人間性に及ぼす影響」で、こちらの先見性は空恐ろしいものを感じます。2012/02/26