内容説明
日本最大の仏教宗派、浄土真宗。開祖・親鸞は、絶対他力の教え、悪人正機説など、思想の革新性で知られている。本書では、さらに平安時代の浄土信仰や、密教呪術とのつながりにも目を向け、親鸞の教えと、それがどのように広まったのかを、豊富な史料とエピソードに基づき描きだす。師・法然から、親鸞、その子孫、室町時代に教団を確立した蓮如、そして東西分裂後まで、浄土真宗の思想と歴史を一望する。
目次
序章 浄土真宗の前夜
第1章 法然とその門弟
第2章 親鸞の生涯
第3章 親鸞の信仰
第4章 家族それぞれの信仰―恵信尼・善鸞・覚信尼
第5章 継承者たちの信仰―如信・覚如・存覚
第6章 浄土真宗教団の確立―蓮如とその後
終章 近代の中の浄土真宗―愚の自覚と現在
著者等紹介
小山聡子[コヤマサトコ]
1976年、茨城県に生まれる。98年、筑波大学第二学群日本語・日本文化学類卒業、2003年同大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。博士(学術)。現在、二松学舎大学文学部教授。専門は日本宗教史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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HANA
65
親鸞と本願寺教団を従来の絶対他力神祇不拝といった点からではなく、当時の信仰という面から問い直した一冊。生涯や教学は従来の説を下敷きにしているが、特筆すべきはやはり呪術との関わり合いや自力との向き合い方。臨終行儀を完全に否定したのは親鸞だけで、後の本願寺門主もそれを否定していないというのは極めて面白い。やっぱり難中の難っていうのは伊達ではないなあ。他にも叡山浄土教から近世の親鸞観まで、通史をその観点から読み解いていくのは力作といえる。底本となった『親鸞の信仰と呪術』の方を一度詳しく読んでみたいものである。2017/02/02
きいち
46
親鸞も、またその後継者たちも、そして蓮如も、絶対的な他力信仰を言いつつも自力や呪術的なふるまいから自由でいられなかった…これまでの近代的な解釈と異なる親鸞像は、なるほどだからこそ真宗が多数派たりえたのか、と納得。自分も子どものころから正信偈あげて育ったけど、唯一神たる阿弥陀様への一対一の信仰と言われると違和感を覚えていたので。◇いやむしろ、心の中でのそうしたせめぎ合い、そして折り合いのつけ方にこそ、「正解よりも納得解」のプラグマティズム的な現代性があるのでは?。◇江戸期や明治以降も知りたくなる。続刊希望。2017/04/13
かごむし
34
現世利益を望まず、死後に極楽浄土に往生し、彼の地で幸せな生活が待っているという思想の徹底は、現世に何も望まないということを強いる難しさがあり、親鸞以降の教義の揺れなど、とても興味深く読んだ。また、学術書という観点から、親鸞を含めた歴代の浄土真宗指導者たちの、説いた教義と、その人自身の信仰・思想を突き合わせる作業は、その作業をしようと発想すること自体、エグイなと思ったが、社会の変化の中で個人に根付いた、生々しい信仰を見る思いがしてこれも面白かった。自分が持っている信仰と比較することで、考えることも多かった。2017/10/23
樋口佳之
32
報謝のために戦うようにと促している。その上で、本願寺のために戦った者は、必ず極楽往生を遂げるだろう、としている。この顕如の言は、他力の信心を獲得した時に往生が定まるとした親鸞の信仰とは程遠い/教団が生まれた所で教えの内容が変わっているのは確か。教科書で説明される浄土真宗と日常の生活の中で触れた記憶の浄土真宗は乖離していて、悪人正機などは聞いた記憶が無い。むしろ日々の行いにおいて善を為す事の強調だから自力の教えだったのかも。/この教団の成立後の変遷がもっと知りたかったので少し残念。2019/02/07
梅干を食べながら散歩をするのが好き「寝物語」
27
親族の本願寺派の法事に何度も参列する中で、理解の必要性を感じ読むことにした。面白かった。親鸞とその子孫の信仰の揺れと親子・人間関係がドラマチックだ。親鸞は法然から阿弥陀仏信仰を学び独自に他力信心の教えを伝えようとする。易行であるはずの他力信心は実際には難しいもので継承者である子孫の中で信仰についての揺れが起きつつも洗練されて行く。門徒の実情に合わせながら、教義の伝えかたに工夫を加えつつ発展していく様は人間臭くもあり合理的だとも感じた。京都の西本願寺が持つ開かれた雰囲気の由来が理解できたような気がした。2020/11/18