講談社学術文庫<br> 歴史のかげに美食あり―日本饗宴外交史

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講談社学術文庫
歴史のかげに美食あり―日本饗宴外交史

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  • サイズ 文庫判/ページ数 256p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062924764
  • NDC分類 210.58
  • Cコード C0121

出版社内容情報

美酒と珍味佳肴が政治を動かす。幕末から半世紀、宮廷で遊郭で戦場で、日本史の主役たちは舌鼓をうった。食の視点から歴史を見れば。古来、「歴史のかげに女あり」と言われる。妖艶な美女が歴史を動かしてきた例は少なくない。だが、考えてみれば大事件、外交の舞台裏でより重要だったのは、美女よりも美食ではなかったか。近代日本の運命を左右したステージに饗宴はつきもの。相手を懐柔するためには、美味が必要だった。明治の主役たちは、いかに「おもてなし」に頭を悩ませたか。
黒船来航のペリーは、なれぬ日本料理に閉口した。フランス料理になじめなかった明治天皇の涙ぐましい努力。暗殺された伊藤博文が日本で最後に食べた河豚の味。日露戦争の勝利に外国武官たちからシャンパンシャワーで祝ってもらった児玉源太郎。フランスからミネラルウォーターを取り寄せていた西園寺公望などなど。
史料から明治の世界を生き生きと描き、52歳の若さで惜しまれつつ逝ったノンフィクション・ライター黒岩比佐子が、12品のフルコースで、歴史ファンをご接待!
(原本 文春新書『歴史のかげにグルメあり』2008年刊)

第1章 マシュー・ペリー―本膳料理に不満を抱いた米国海軍提督
第2章 アーネスト・サトウ―最後の将軍によるフランス料理の饗宴
第3章 明治天皇(1)―天皇が初めてホストを務めた日
第4章 井上馨―ダンスと美食による鹿鳴館外交
第5章 大倉喜八郎―怪物的な政商と帝国ホテルの料理
第6章 ニコライ皇太子―大津事件とロシア軍艦での午餐会
第7章 伊藤博文―河豚の本場で開かれた日清講和会議
第8章 児玉源太郎―旅順陥落のシャンパンシャワー
第9章 村井弦斎―食道楽作家とロシア兵捕虜の交流
第10章 明治天皇(2)―ガーター勲章と宮中晩餐会
第11章 西園寺公望―稀代の食通だった風流宰相
第12章 幸徳秋水―アナーキストの「菜食論」


黒岩 比佐子[クロイワ ヒサコ]
著・文・その他

内容説明

黒船来航から鹿鳴館、日露戦争まで―。東洋の小国を震撼させた大事件の主役たちが、はじめて体験した「美食外交」。百五十年以上前、日本と欧米は料理の大きな違いを乗り越え、どうあいまみえたか?当時のメニューを細見しながらホスト国の苦心惨憺に迫る。52歳で惜しまれつつ逝ったノンフィクション・ライターが、12のフルコースで読者をご接待。

目次

本膳料理に不満を抱いた米国海軍提督―マシュー・C.ペリー
最後の将軍によるフランス料理の饗宴―アーネスト・サトウ
天皇が初めてホストを務めた日―明治天皇(1)
ダンスと美食による鹿鳴館外交―井上馨
怪物的な政商と帝国ホテルの料理―大倉喜八郎
大津事件とロシア軍艦での午餐会―ニコライ皇太子
河豚の本場で開かれた日清講和会議―伊藤博文
旅順陥落のシャンパンシャワー―児玉源太郎
“食道楽”作家とロシア兵捕虜の交流―村井弦斎
ガーター勲章と宮中晩餐会―明治天皇(2)〔ほか〕

著者等紹介

黒岩比佐子[クロイワヒサコ]
1958年東京都生まれ。慶應義塾大学卒。ノンフィクション・ライター。主な著書に『「食道楽」の人 村井弦斎』(サントリー学芸賞受賞)、『編集者 国木田独歩の時代』(角川財団学芸賞)、『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(読売文学賞)など。2010年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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まーくん

85
幕末から明治期まで、西洋に伍していこうと背伸びし頑張った日本人の姿を饗宴ーおもてなしの宴会を切り口に辿る。ペリー提督からアーネスト・サトウ、明治天皇、伊藤博文、ニコライ露皇太子などを主人公に12話。初めて英国公使に接見した即位間もない15歳の睦仁天皇は、眉を剃り頬に紅をさしお歯黒だったという。最後の元老西園寺公が首相の折、文士20名を「お話を拝聴いたしたく、粗飯を差し上げたい」と丁重に駿河台の自邸に招いたが三名が断った。そのひとり、漱石が辞退の返簡に添えた一句。”杜鵑(ホトトギス)厠なかばに出かねたり”。2020/10/06

パトラッシュ

57
外交交渉を有利に進めるため美食が不可欠なのはウィーン会議のタレイラン以来の常識だが、日本の食卓外交は聞いたことがなかった。まして幕末明治の動乱期になどあり得ないと思い込んでいたが、混乱の時代に幕府や明治政府が列強を味方につけようと外交饗宴に力を入れた事情が理解できる。徳川慶喜や維新の元勲らを料理の視点から見ると、舌の面でも大変革を経験した彼らの人間臭い側面が面白い。舞踏会で有名な鹿鳴館の晩餐や、明治天皇が唯一海外領土へ足を運んだロシア軍艦での午餐会は国の命運を賭けた食事であると歴史書に書かれる日は来るか。2021/03/04

yamatoshiuruhashi

42
読友さんのレビューで知った本。ペリーの押しかけ外交の折の互いの接待飯はどんなものだったのか。当時の日本の料理にペリーは満足しなかったようだが、それも当たり前だろう。文化の違いを人種の優劣と受け止めたのではないだろうかと私は想像する。にしても、それからあっという間に欧米外交団をフランス料理で接待できるようになるとは、当時の料理人もやるものではないか。西園寺公望に至るまで色々な外交場面、あるいは時の人の食べ物嗜好と連携した考察に興味深く読んだ。全く想像もできない料理もあるが、多くは腹の虫を誘う料理だった。2020/12/11

くまくま

8
開国から日本が列強としての歩むまで。時の外交政策が饗宴のメニューに反映されていることがよく分かる。欧化政策をとり、日本が一等国と認められるようになるための格闘の数々、鹿鳴館外交などは猿真似のようにしか思えないが、当時からすると欧米に追いつけと真剣だったのだろう。食に触れることでその人となり見えてくる。2019/11/08

見もの・読みもの日記

6
幕末明治期の11人を主役に、近代日本を左右した大事件を、接待や交渉のテーブルに並んだ料理から考える。日本の近代化(欧風化)を推進した井上馨、大倉喜八郎に比較的好意的な評価を与えているのが面白かった。伊藤博文の日本での最後の午餐が春帆楼の河豚チリだったというのを初めて知った。伊藤公、悔いはないだろうなあ。2020/03/29

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