中公新書<br> ケンペルと徳川綱吉―ドイツ人医師と将軍との交流

中公新書
ケンペルと徳川綱吉―ドイツ人医師と将軍との交流

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  • サイズ 新書判/ページ数 255p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784121011688
  • NDC分類 289
  • Cコード C1225

内容説明

ケンペルの名は、元禄時代の日本の貴重な記録者として有名であるが、彼の日本あるいは徳川綱吉への共感と好意は、彼が日本到着以前に、ドイツからスウェーデン、ロシア、中東、東南アジアを経巡ることによって生まれたともいえる。本書は、ケンペルの人生を、来日以前の研究旅行の時期、将軍との出会いを頂点とする日本での諸見聞の時期、帰国後不遇の生活の中で著述を纒める時期と分けて、人間ケンペルの全貌を描くものである。

目次

人生の門出
大旅行への出発
飽くことを知らない知識欲
夢からさめる夢想家
1690年 日本
迫害される儒教
卓越した君主か、犬の将軍か
将軍に歌う
故国ドイツの医師として

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ゆきこ

9
徳川綱吉の時代にオランダ商館付医師として出島に滞在していたドイツ人、エンゲルベルト・ケンペルについて書かれた本。井沢さんの「綱吉名君説」についてもっと詳しく知りたいと思って読みました。鋭い観察眼を持っていたケンペルが、綱吉のことを「卓越した君主」と称賛したという点は、日本での綱吉の評価と大きく異なっていてとても興味深いです。そしてこういった外国人による日本についての史料が残っていたことは、大変ありがたいことだなぁと感じました。2016/07/04

isao_key

7
ドイツ人日本史研究者である著者によるケンペルの評伝。ケンペルの目を通してみた5代将軍綱吉の印象と江戸城内の様子を記した優れた研究書である。「後世日本では綱吉は犬公方と呼ばれ、その学問好きな性格と宗教心の深さがわざわいして、かえって国民をおぞましい法令で苦しめることになった。だがケンペルのおかげで、綱吉は、ヨーロッパの人々には卓越した君主として知られ、また公正で寛大な統治を行ない、学問と芸術をヨーロッパのどの君主よりも厚く保護する名君として知られるに至ったのである」とは、日本人研究者ではまず書き得ない記述。2014/07/12

panasony

2
江戸時代前期、日本に二年ほど滞在したドイツ人医師ケンペルの半生と実際江戸城で対面した綱吉の話。恐らくドラマ「水戸黄門」の影響であろうか、綱吉にはいい印象が無かったが、この本を読んで印象が変わった。悪名高い「生類憐れみの令」が施行されたのもそれなりの理由があったようです。ケンペルは綱吉を「名君」であると言っています。

印度 洋一郎

2
元禄時代、オランダ商館にやってきたドイツ人医師ケンペルの日本紀行を読み解く。ケンペルの目から見た将軍綱吉は、「賢明な名君」だった。生類憐みの令は、戦国の野蛮な習俗を一掃しようとした改革だったが、その野蛮な習俗を特権としていた武士階級の猛反発を受け、幕閣や幕臣達まで法令を骨抜きにして改悪。この権力闘争の過程で、いわゆる「天下の悪法」が発生してしまったのだという。犬の世話を専ら義務付けられたのは武士だった、綱吉が奨励するまで儒教はキリシタンに準ずる”異教”扱いだったなど、日本史では聞かない話ばかり。2010/05/22

ut_ken

1
ケンペルの日本での体験、観察と記録を元に元禄時代の状況を描き出し、綱吉が一貫して明確なビジョンを持っていた君主であると述べている。ただ生類憐れみの令の主な目的を、武士の暴力的特権の抑制・公僕化としているとしているのには、やや同意しがたい。

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