出版社内容情報
次兄弥蔵の中国革命論に共鳴した宮崎滔天(一八七一―一九二二)は,来日した孫文に初めて出会って以来熱烈にその支持者となり,私利私欲を度外視して中国革命支援のため東奔西走,東アジア各地を駆けめぐった.明治のロマンティスト,革命家滔天の波瀾万丈の半生=三三歳までを描いた自叙伝.資料を博捜,詳細で読みやすい注を付す.
内容説明
次兄弥蔵の中国革命論に共鳴した宮崎滔天(1871‐1922)は来日した孫文に初めて出会って以来熱烈にその支持者となり、私利私欲を度外視して中国革命支援のため東奔西走、東アジア各地を駆けめぐった。天真爛漫な明治のロマンティスト、革命家滔天の波瀾万丈の半生=33歳までを描いた自叙伝。資料を博搜、詳細で興趣溢れる注を付す。
目次
半生夢さめて落花を思う
故郷の山川
余が家庭
中学校および大江義塾
自棄の卵の反動
耶蘇教徒となる
思想の変遷と初恋
大方針定まる
無寐の郷国に入る
無為の四年間〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Hatann
12
中国革命のため孫文を支援した宮崎滔天の半生の夢と挫折を語る。裕福な庄屋に生まれ、幼いころから自由民権運動、キリスト教に触れる。21歳のとき、欧州に侵略されるアジアを救うには、日本では防波堤になりえず、アジア文明の中心である中国の独立と中国民衆の自由が先決であるとの信念を持つに至り、兄とたったふたりで中国革命支援の活動を始める。兄は横浜に、滔天はタイへ向かった。孫文との出会いは僥倖なるも、シンガポールで国外追放となり、武器調達を委ねた相手に資金を横領された。豪快ながら純粋で不器用な人生に引き込まれる。好著。2022/03/13
Francis
4
近代中国の父、孫文を支援した宮崎滔天の33歳に至るまでの伝記。彼の人物はまことに破天荒で、八面六臂の活躍ぶりは読んでいてまことに痛快。英雄豪傑とはこのような人を言うのだろう。孫文の他、康有為、犬養毅らも登場。今日本と中国は領土問題などで険悪な関係になっているが、100以上前に中国革命のために一生を捧げ、中国の多くの革命家から慕われた日本人がいたことはもっと知られてもいいのではないだろうか。2013/07/10
てれまこし
3
言い訳がましく感じるのは、これがまさしく言い訳の書だからなんだが、それでも言い訳くさい。滔天が純粋なのはその天性ではあると思うが、女や酒に負けたり、手抜かりでヘマをやらかす自分を許すためには純粋で天真爛漫にならないとならなかったのだとも思う。そして、この本を読む日本人もまた、誠実にアジアの志士に尽した日本人が存在したことに贖罪を見出せる。互いに幸福であるが、そこで終わってしまうと心情を思想にすることができない。滔天の稀有な共感力を彼の個性として愛するだけじゃ、僕らは決して「愛される日本人」にはなれない。2018/06/07
の
3
辛亥革命を支えた革命家・浪曲家である宮崎滔天の半生を描いた自伝。キリシタン武士であったり、学生運動家であったり、東南アジアで殖産興業をしたり等々、わずか三十三年の出来ごとながらまさしく波乱万丈な人生を送っている。最もな功績は来日した孫文を支援し辛亥革命を可能にしたことなのだろうが、それすら彼の人生を構成する一つの要素に過ぎない。こうした「枠に嵌らない暴走」は、戦前日本人の専売特許とも言うべき行動心理なのだろうなぁ。2011/07/07
Rion
2
滔天の行動力に驚くとともに、かなり感化されやすい人だったのではないかと思った。「余は恋愛の化身なり」と恋に格闘するところだったり、シンガポールでの話が興味をひいた。読んでいて暑苦しさ半端ないけれども、おそらく目の前で話したら惹かれてしまうだろう人物。お母さんやお兄さんなど家族の話もでてきて、滔天の周りの人物も濃ゆい人が多すぎる。2016/02/11